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松田協輔

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松田 協輔(まつだ きょうすけ、文久2年8月1日[1]1862年8月25日) - 没年不詳)は、日本検事広島県尾道市長

経歴

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周防国佐波郡串村(現在の山口県山口市)出身[1]1885年明治18年)に司法省法学校を卒業し、翌年に広島始審裁判所詰の検事補となった[1]1887年(明治20年)、判事登用試験に合格し、検事となった[1]。以後、広島地方裁判所検事、尾道区裁判所検事、広島控訴院検事、佐賀地方裁判所検事正、名古屋控訴院検事、仙台地方裁判所検事正、長崎控訴院検事、福岡地方裁判所検事正、名古屋地方裁判所検事正、樺太地方裁判所検事正[1]、広島地方裁判所検事正、長崎地方裁判所検事正[2]安濃津地方裁判所検事正[3]大審院検事などを歴任した[4]

退官後の1927年(昭和2年)より尾道市長を務めた。

栄典

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親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e 『帝国法曹大観』p.779
  2. ^ 『人事興信録 第6版』
  3. ^ 『人事興信録 第7版』
  4. ^ 『人事興信録 第9版』
  5. ^ 『官報』第3259号「叙任及辞令」1923年6月12日。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。 
  • 『帝国法曹大観』帝国法曹大観編纂会、1915年。