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松井千枝子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松波美子から転送)
まつい ちえこ
松井 千枝子
松井 千枝子
本名 蔵数 富子
別名義 松波 美子
生年月日 (1899-12-04) 1899年12月4日
没年月日 (1929-04-02) 1929年4月2日(29歳没)
出生地 日本の旗 日本東京市浅草区諏訪町
死没地 日本の旗 日本東京府荏原郡蒲田町
職業 女優
ジャンル サイレント映画
活動期間 1924年 - 1928年
活動内容 映画出演、脚本
著名な家族 松井潤子(妹)
松井満(弟)
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松井 千枝子(まつい ちえこ、1899年12月4日 - 1929年4月2日)は、日本の女優。本名:蔵数 富子[1]。旧芸名は松波 美子[1]大正から昭和初期にかけてサイレント映画で活躍した。

女優の松井潤子は妹、俳優の松井満は弟にあたる[1]

来歴・人物

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1899年明治32年)東京市浅草区諏訪町に、南葛飾郡で病院を経営する医師の元に長女として生まれる[1]1917年(大正6年)に東京府立第一高等女学校を卒業[1]1922年(大正11年)に母親が死亡し、この後父親が再婚したため家を出、牛込区で妹の潤子と一緒に暮らす[1]

1924年(大正13年)舞台協会に「松井千枝」として参加するが、病気のため一度も舞台に出演することができなかった[1]。この後小笠原プロダクションの『金色夜叉』で初めて映画に出演[2]後、国際活映に「松波美子」の芸名で入社するも1925年(大正14年)に国活が解散。師事していた松山省三久米正雄に勧められて同年2月に松竹蒲田撮影所へ潤子と共に移り、芸名を「松井千枝子」とする[1]五所平之助第1回監督作品である『南島の春』のヒロインとして松竹映画に初出演する[1][3](製作されたのは牛原虚彦島津保次郎両監督の『大地は微笑む』が最初[1])。モダンガール役が多かった潤子と比べ、日本的な憂いを帯びた美人の役が定評を得る。

映画『妖婦五人女』(1926年)宣伝用写真から。左から栗島すみ子松井千枝子川田芳子筑波雪子柳さく子

1927年(昭和2年)、同名の小唄をモチーフとした『春の雨』の原作・脚色を担当し自ら主演[1][4]、同年、千代子が書いた「寂光」を改題した『哀愁の湖』でも脚色・主演を担当した[1][5]

1928年(昭和3年)に腎臓病のため手術を行ったが、療養中の1929年(昭和4年)4月2日蒲田町の自宅で早世[1]。29歳没。同年7月に城戸四郎、六車修、高松栄子龍田静枝、齋藤京之助の文を寄せた遺稿集『死の舞台』を潤子らが刊行[1]、8月に遺作『3善人』が公開された[3]

おもなフィルモグラフィ

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小笠原プロダクション
国際活映
  • 『ストトン』 1924年
  • 『関の五本松』 1924年
  • 『延命院のせむし男』 1924年 監督:池田義信
  • 『義血』 1924年
松竹蒲田撮影所
『屋上の恋人』(1925年)のスチル。左から堀川浪之助、松井、新井淳
  • 『南島の春』 1925年 監督:五所平之助
  • 大地は微笑む』 1925年 監督:牛原虚彦島津保次郎
  • 『女難』 1925年 監督:蔦見丈夫
  • 『愛の乱舞』 1925年 監督:吉野二郎
  • 『坂崎出羽守』 1925年 監督:勝見庸太郎
  • 『郊外の家』 1925年 監督:重宗務
  • 『踊り子の指輪』 1925年 監督:島津保次郎
  • 『屋上の恋人』 1925年 監督:吉野二郎
  • 『正直金さん』 1926年 監督:勝見庸太郎
  • 『悩ましき頃』 1926年 監督:清水宏
  • 『秋の歌』 1926年 監督:池田義信
  • 『海人』 1926年 監督:鈴木傳明
  • 『コスモス咲く頃』 1926年 監督:野村芳亭
  • 受難華』 1926年 監督:牛原虚彦
  • 『孔雀の光』 1926年 監督:吉野二郎
  • 『妖婦五人女 第四篇 奥様お千枝』 1926年 監督:野村芳亭
  • 父帰る』 1927年 監督:野村芳亭
  • 『春の雨』 1927年 監督:清水宏
  • 白虎隊』 1927年 監督:野村芳亭
  • 『海の勇者』 1927年 監督:島津保次郎
  • 『毒唇』 1927年 監督:野村芳亭
  • 『哀愁の湖』 1927年 監督:佐々木恒次郎
  • 『浅草行進曲』 1927年 監督:野村芳亭[6][7][8][9]
  • 『感激時代』 1928年 監督:牛原虚彦
  • 『鉄の処女』 1928年 監督:大久保忠素
  • 『昭和の女』 1928年 監督:清水宏
  • 『道頓堀行進曲』 1928年 監督:野村芳亭
  • 『不如帰』徳富蘆花原作、1928年(ニッポノホン映画解説レコード) [10][11][12][13]
  • 『3善人』 1929年 監督:野村芳亭

フィルムが現存するのは『地下室』(1927年 監督:蔦見丈夫、8分)と『感激時代』(19分)のみである[14]

書籍

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参考文献

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  • 盛内政志千葉伸夫「松井千枝子」『日本映画人名事典 女優篇・下巻』キネマ旬報社、1995年、554-557頁。 

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 「キネマ旬報」、キネマ旬報社、1995年。 
  2. ^ 松井千枝子”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus、. コトバンク. 2013年3月5日閲覧。
  3. ^ a b 松井千枝子 - 日本映画データベース、2013年3月5日閲覧。
  4. ^ 春の雨”. 日本映画データベース. 2013年3月5日閲覧。
  5. ^ 哀愁の湖”. 日本映画データベース. 2013年3月5日閲覧。
  6. ^ 松井千枝子、三田英児、静田錦波『映画説明 浅草行進曲(一)』コロムビア(戦前)、1928年6月https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I000167626-002019年7月30日閲覧 
  7. ^ 松井千枝子、三田英児、静田錦波『映画説明 浅草行進曲(二)』コロムビア(戦前)、1928年6月https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/13144772019年7月30日閲覧 
  8. ^ 松井千枝子、三田英児、静田錦波『映画説明 浅草行進曲(三)』コロムビア(戦前)、1928年6月https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/13159232019年7月30日閲覧 
  9. ^ 松井千枝子、三田英児、静田錦波『映画説明 浅草行進曲(四)』コロムビア(戦前)、1928年6月https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/13159242019年7月30日閲覧 
  10. ^ 徳富蘆花(原作)、岩田祐吉、松井、熊岡天堂『映画説明;不如帰(一)逗子海岸の場』コロムビア(戦前)、1928年7月https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/13159922019年7月30日閲覧 
  11. ^ 徳富蘆花(原作)、岩田祐吉、松井千枝子、熊岡天堂『映画説明;不如帰(ニ)』コロムビア(戦前)、1928年7月https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/13159932019年7月30日閲覧 
  12. ^ 徳富蘆花(原作)、岩田祐吉、松井千枝子、熊岡天堂『映画説明;不如帰(三)』コロムビア(戦前)、1928年7月https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/13159942019年7月30日閲覧 
  13. ^ 徳富蘆花(原作)、岩田祐吉、松井千枝子、熊岡天堂『映画説明;不如帰(四)』コロムビア(戦前)、1928年7月https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I000131749-002019年7月30日閲覧 
  14. ^ 入倉友紀 (2022). “松竹蒲田撮影所における女性の映画製作への参画――女優兼脚本家、松井千枝子の活動を通して”. 映像学 108: 159. doi:10.18917/eizogaku.108.0_144. https://www.jstage.jst.go.jp/article/eizogaku/108/0/108_010809/_article/-char/ja/. 
  15. ^ 都会で流行の家庭美容美顔術”. 国立国会図書館サーチ. 芳蘭閣書房. 2013年3月5日閲覧。
  16. ^ 全国書誌番号:46093177

関連文献

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評伝

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  • 「三拍子揃つてる松井千枝子嬢」『映画女優スタアになるまで』小池善彦 著、章華社〈なるまで叢書〉第1編、1926年(大正15年)、31-34頁。
  • 「コスモスの花を想はせる、松井千枝子」『キネマ・スターの素顔と表情』羽太鋭治 著、南海書院、1928年(昭和3年)、206-211頁。
  • 「死んでも不可解な松井千枝子」『カフヱ行進曲』有明暁 著、新進社、1929年、69-74頁。
  • 「松井千枝子」『女優情史』石上欣哉 著、日月社、1929年(昭和4年)、307頁-。
  • 瞬く妖星(松井千枝子の卷)」『映画界ローマンス』葛飾荘主人 著、平凡社、1930年(昭和5年)、65-83頁(コマ番号43-51)。
  • 「松井千枝子との一問一答録」『荷風全集』第28巻、岩波書店、1965年、5-14頁。
その他
  • 「松井千枝子・下川凹天」『スター漫画漫談 : 日本欧米映画俳優似顔漫画集』在田稠 (編)、緑陰社、1927年、20-22頁。

外部リンク

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