松平義裕
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝暦12年9月27日(1762年11月12日) |
死没 | 寛政7年9月22日(1795年11月3日) |
改名 | 哲之助(幼名)→義裕 |
戒名 | 本崇院殿清誉徳仁順明大居士 |
墓所 | 岐阜県海津市南濃町上野河戸の行基寺 |
官位 | 従四位下左近衛少将、摂津守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治→家斉 |
藩 | 美濃高須藩主 |
氏族 | 高須松平家 |
父母 | 父:松平義敏、母:松平頼寛娘・幾 |
兄弟 | 徳川治行、義裕、松平裕民、純姫 |
妻 | 正室:徳川宗翰長女・時姫 |
子 |
薫 養子:義当 |
松平 義裕(まつだいら よしひろ)は、江戸時代中期の大名。美濃国高須藩6代藩主。官位は従四位下・左近衛少将、摂津守。
生涯
[編集]4代藩主・松平義敏の次男として誕生。
安永6年(1777年)1月25日、先代藩主の兄・義柄(徳川治行)が本家・尾張徳川家の徳川宗睦の養子となったため、代わって藩主となった。同年3月1日、10代将軍・徳川家治に拝謁する。同年12月18日、従五位下・摂津守に叙任する。ただちに従四位下・侍従に昇進する。安永7年(1778年)11月3日、陣屋を駒野から高須に戻す許可を得る。安永8年(1779年)12月16日、左少将に任官する。
寛政7年(1795年)9月22日、34歳で死去し、跡を養嗣子の義当が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 時姫 ー 徳川宗翰の長女
側室
- 栄教院 ー 筒井氏
子女
養子