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松平忠禎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

松平 忠禎(まつだいら ただよし、1869年6月25日(明治2年5月16日[1]) - 1926年大正15年)4月3日[1][注 1])は、明治から大正期の陸軍軍人政治家華族。最終階級は陸軍歩兵少尉貴族院子爵議員。旧姓・間部[1]

経歴

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鯖江藩主・間部詮勝の十男として生まれる[1][2]1891年(明治24年)8月、旧小幡藩主家当主、子爵松平忠恕の養子となる[1][2]。養父の死去に伴い、1902年(明治35年)6月7日に子爵を襲爵した[1][3]

学習院高等学科を修了[4]1892年(明治25年)一年志願兵として近衛歩兵第1連隊に入隊[4]1894年(明治27年)陸軍歩兵少尉に任官し、臨時陸軍検疫部事務官、近衛歩兵第4連隊補充大隊第2中隊付、学習院学生副官などを務めた[2][4]1904年(明治37年)に退官した[4]

1904年7月10日、貴族院子爵議員に選出され[5][6]1911年(明治44年)7月9日まで1期在任した[4]

1916年(大正5年)12月11日に隠居し[注 2]1917年(大正6年)3月26日に分家した[1]

親族

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』56頁では大正14年。
  2. ^ 宮内省への届出は12月15日。『官報』第1313号、大正5年12月16日。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i 『平成新修旧華族家系大成 下巻』620-621頁。
  2. ^ a b c 『人事興信録 第4版』ま39頁。
  3. ^ 『官報』第5677号、明治35年6月9日。
  4. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』56頁。
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、13頁。
  6. ^ 『官報』第6325号、明治37年7月30日。
  7. ^ 帰らなかったフランス人 3歴史散歩、2019年6月10日
  8. ^ 松平忠禎 (男性)『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
松平忠恕
子爵
小幡松平家第2代
1902年 - 1916年
次代
松平忠相