松島救難隊
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松島救難隊 | |
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松島救難隊のU-125A | |
創設 | 1960年9月20日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 航空自衛隊 |
部隊編制単位 | 隊 |
兵種/任務 | 捜索救難 |
所在地 | 宮城県松島基地 |
編成地 | 宮城県松島基地 |
標語 |
他を生かすために That others may live |
上級単位 | 航空救難団 |
最終上級単位 | 航空総隊 |
松島救難隊(まつしまきゅうなんたい、英称:Matsushima Air Rescue Squadron)は、航空自衛隊航空総隊航空救難団隷下の航空救難部隊。宮城県松島基地に所在し、捜索救難機にU-125A、救難ヘリコプターにUH-60Jを運用する。
概要
[編集]1960年(昭和35年)9月20日に航空自衛隊4番目の救難分遣隊として松島基地で編成され、1964年(昭和39年)12月1日に松島救難隊へ改編された[1]
部隊マークは、日本三景松島を象徴する松と伊達藩の太鼓の紋章をイメージしたものになっている[2]。
東日本大震災による被害
[編集]2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災時、松島救難隊にはU-125A捜索救難機2機とUH-60J救難ヘリコプター4機が配備されており、うちU-125A捜索救難機1機とUH-60J救難ヘリコプター1機がエプロンでアラート待機に就いていた。発災後、津波により松島基地が被災し、全機が水没した[3]。
3月12日に一部の隊員が入間ヘリコプター空輸隊のCH-47J輸送ヘリコプターに搭乗して入間基地に移動し、3月13日には百里基地に移動して百里救難隊の指揮下に入り、一部は三沢基地に移動し、同基地に前進展開していた千歳救難隊の指揮下に入り、被災地での捜索救難活動を行った[4]。
3月21日には2機のUH-60J救難ヘリコプターが配備され、物資輸送や捜索任務を開始した[5]。
沿革
[編集]- 1960年(昭和35年)9月20日 - 松島基地において救難航空隊隷下で松島救難分遣隊編成[1]。
- 1961年(昭和36年)7月15日 - 救難航空隊が航空救難群に改編[1]。
- 1964年(昭和39年)12月1日 - 松島救難分遣隊が松島救難隊に改編[1]。
- 1971年(昭和46年)3月1日 - 航空救難群が航空救難団に改編[1]。
- 1989年(平成元年)3月16日 - 航空救難団が航空支援集団隷下に隷属替え[1]。
- 2011年(平成23年)3月11日 - 東日本大震災に伴う津波により所属機が全て水没する[3]。
- 3月21日 - 松島救難隊にUH-60J救難ヘリコプター2機が配備される[5]。
- 4月1日~4月3日 - 松島救難隊指揮下で第1回集中捜索実施[5][6]。
- 4月10日 - 松島救難隊指揮下で第2回集中捜索実施[6]。
- 4月25日~4月26日 - 松島救難隊指揮下で第3回集中捜索実施[6]。
部隊編成
[編集]- 隊本部
- 総括班
- 飛行班
- 整備小隊
出典
[編集]- ^ a b c d e f g “航空救難団の沿革” 2017年12月29日閲覧。
- ^ イカロス出版 自衛隊の名機シリーズ5 航空自衛隊T-4/C-1/E-767 48頁 「航空教育集団&航空支援集団部隊パッチ大全 航空救難団」石原肇
- ^ a b イカロス出版 JWing No.154 2011年6月号 4頁-8頁 「がんばれ!松島」西城孝幸
- ^ 大日本絵画 ツバサノキオク 震災・災害に立ち向かう救難最後の砦自衛隊救難部隊の真実と実態 30頁-35頁 「episode 2 東日本大震災(その1)」杉山潔
- ^ a b c イカロス出版 JWing No.155 2011年7月号 20頁 「松島救難隊長特別インタビュー」
- ^ a b c 大日本絵画 ツバサノキオク 震災・災害に立ち向かう救難最後の砦自衛隊救難部隊の真実と実態 52頁-57頁 「episode 5 東日本大震災(その4)」杉山潔