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東雲神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東雲神社
東雲神社拝殿
拝殿
所在地 愛媛県松山市丸之内73番地1
位置 北緯33度50分41.6秒 東経132度46分14.6秒 / 北緯33.844889度 東経132.770722度 / 33.844889; 132.770722 (東雲神社)座標: 北緯33度50分41.6秒 東経132度46分14.6秒 / 北緯33.844889度 東経132.770722度 / 33.844889; 132.770722 (東雲神社)
主祭神 天照皇大神
豊受大神
天穂日命
菅原道真
社格 県社
創建 文政6年(1823年
本殿の様式 神明造
別名 松山大神宮
例祭 4月17日
地図
東雲神社の位置(松山市内)
東雲神社
東雲神社
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東雲神社(しののめじんじゃ)は、愛媛県松山市にある神社。神紋は星梅鉢。旧社格は県社。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。

祭神

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歴史

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  • 文政6年(1823年)、松山藩11代藩主松平定通が、藩祖である松平定勝の神霊を祀るため、京都吉田家に神号授与を要請し、息長福玉命の神号を得て、松山城山揚木戸に仮宮を造営し仮勧請した。
  • 文政11年(1828年)、藩祖松平定勝の嫡男松平定吉の神霊を境内の祠へ勧請した(神号は稚国命)。
  • 天保8年(1837年)、12代藩主松平勝善は、松平定勝の神号授与を再度依頼し、東雲大明神の神号が授与され、松山城内の御社へ正式に勧請した。(この年より、松山城山長者が丘に社殿の造営が開始)
  • 天保11年(1840年)、社殿が完成し、藩崇敬の神社とした。
  • 1880年明治13年)、県社に列した。
  • 1945年昭和20年)7月の松山空襲で、社殿など数多くの建物が焼失した。
  • 1971年(昭和46年)、松山城の西堀端にあった伊勢神宮の分社である松山大神宮を東雲神社の社殿跡地に御奉遷した。
  • 1973年(昭和48年)、神明造りの社殿が完成、松山大神宮と東雲神社の神霊が合祀奉斎された。
  • 2016年平成28年)3月、「金彩獅子枝菊和製南蛮胴具足」が発見された[1]

年中行事

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文化財

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国の重要文化財
短刀 銘 国弘作(松山市文化財課
太刀 銘 助包(松山市文化財課

所在地情報

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所在地
  • 愛媛県松山市丸之内73番地1
交通

近郊の施設

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脚注

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注釈

参照

外部リンク

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