コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

村屋坐弥冨都比売神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
村屋坐弥冨都比売神社

本殿
所在地 奈良県磯城郡田原本町蔵堂426
位置 北緯34度32分54.4秒 東経135度49分3.3秒 / 北緯34.548444度 東経135.817583度 / 34.548444; 135.817583 (村屋坐弥冨都比売神社)座標: 北緯34度32分54.4秒 東経135度49分3.3秒 / 北緯34.548444度 東経135.817583度 / 34.548444; 135.817583 (村屋坐弥冨都比売神社)
主祭神 三穂津姫命
社格 式内社(大)
県社
創建 不詳
本殿の様式 流造
別名 村屋神社
例祭 10月10日
地図
村屋坐弥冨都比売神社の位置(奈良県内)
村屋坐弥冨都比売神社
村屋坐弥冨都比売神社
テンプレートを表示

村屋坐弥冨都比売神社(むらやにますみふつひめじんじゃ)は、奈良県磯城郡田原本町にある神社である。式内大社で、旧社格県社大和三道の一つ「中つ道」(橘街道)に面して鎮座している。

三穂津姫命(別名 弥富都比売神)を主祭神とし、大物主命を配祀する。三穂津姫命は大国主命の后神であり、記紀神話では大物主と大国主は同神としている。大物主命は大神神社の祭神であり、その后神を祀る当社はその別宮とされる。

歴史

[編集]

概史

[編集]

創立の年代は不詳である。天武天皇元年(673年)の壬申の乱のとき、村屋神が大海人皇子方の大伴吹負に「敵が来るので中つ道を防げ」と神託をした功績により神階が授与されたとの記述が『日本書紀』にある。神階の授与の記事はこれが初出である。大倭国正税帳(正倉院文書)や新抄格勅符抄の記載によると度々朝廷から神封の寄進があった。延喜式神名帳では大社に列しており、月次・相嘗・新嘗の奉幣に預ると記されている。

昭和2年(1926年)に県社に昇格した。

「天武天皇 上」、『日本書紀 下』、講談社学術文庫
また村屋神(守屋神社)の祭神も、祝(神官)に神憑って、「今わが社の中の道から軍勢がくる。それで社の道を防げ」といった。

神階

[編集]

境内

[編集]

境内社

[編集]
摂社 村屋神社(むらやじんじゃ)
式内社。祭神 天津屋根命経津主神比咩大神武甕槌神・大伴健持大連・室屋大連
元は現在地の東の川辺、字宮ノ山に鎮座していたが、天正12年に兵火にかかり、当社境内に遷座した。
末社 服部神社(はっとりじんじゃ)
式内社。祭神 天之御中主命天之御鉾命
元は大字大安寺カキノモリに鎮座していたが、南北朝時代に兵火にかかり、天正元年(1573年)に当社境内に遷座した。
摂社 久須須美神社(若宮恵比須神社)(くすすみじんじゃ)
式内社。祭神 天之久之比命・事代主命
元は現在地の東の川辺、恵比須山に鎮座していたが、慶応2年に当社境内に遷座した。
末社 市杵嶋姫神社(いちきしまひめじんじゃ)・物部神社(もののべじんじゃ)
祭神 炊屋姫命・宇麻志摩遲命、配祀 物部守屋連。由緒は不詳で、社家・守屋家の祖神を祀ったものという。

交通アクセス

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]