李強喆
KTウィズ 監督 #71 | |
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基本情報 | |
国籍 | 韓国 |
出身地 | 全羅南道・光州広域市 |
生年月日 | 1966年5月24日(58歳) |
身長 体重 |
180 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1989年 1次ドラフト |
初出場 | KBO/ 1989年4月13日 サムスン・ライオンズ戦 |
最終出場 | KBO/ 2005年6月19日 現代ユニコーンズ戦 |
年俸 | 3億1000万ウォン(2020年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
監督・コーチ歴 | |
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国際大会 | |
代表チーム | 韓国 |
選出年 | 2003 |
この表について
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李 強喆(イ・ガンチョル、朝鮮語: 이강철、1966年5月24日 - )は、大韓民国・全羅南道光州市(現・光州広域市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。現在、KBOリーグのKTウィズの監督を務める。
経歴
[編集]ヘテ時代
[編集]チームで空前絶後の4年連続15勝以上、10年連続2桁勝利、10年連続3桁奪三振以上を記録したアンダーハンド投手だった。
1992年、最多勝タイトル争いをした宋津宇が9月17日に救援勝利で19勝(11先発勝利)を挙げると、当時監督だった金應龍が翌日先発に投入したが、張鍾勲に逆転本塁打を許し敗戦投手になった。結局、レギュラーシーズンMVPは張鍾勲、投手部門ゴールデングローブは廉鍾錫に奪われた。なお、宋津宇は8救援勝が含まれており、最多先発勝タイトルは彼と尹學吉に与えられた。
その後も趙啓顯、李光雨と共に若手投手として活躍、10年連続二桁勝利・100奪三振を記録するなどチームの5度の優勝に大きく貢献した。
また、1996年の韓国シリーズでは5試合に登板し、2勝1セーブの活躍でMVPを受賞した。
三星時代
[編集]2000年にFAを通じて移籍した。
膝の負傷などで2001年シーズンは良い成績を出せず、2億ウォンで古巣チームに現金トレードされた。
起亜時代
[編集]2001年に再入団した。
2005年に引退を宣言した。引退当時までKBOリーグ歴代最多勝、最多奪三振など様々な記録を出して引退した。
引退後
[編集]引退後からはKIAタイガースの投手コーチになった。
2012年シーズン後、当時新たに監督に選任された廉京燁の要請でネクセン・ヒーローズの首席コーチに選任され、チームを移した。
2019年には金鎭旭の後任としてKTウィズの3代目監督に選任された。その後、KTは最下位から脱出し、2019年に6位、2020年に3位、2021年に統合優勝を導いた。
2022年7月21日、2023 WBC韓国代表監督に選ばれた[1]。
プレースタイル・人物
[編集]1992年の18勝のうち17勝が先発勝利であり、この記録は歴代アンダーハンド投手先発最多勝記録として残っている。
スライダーが持ち味の下手投げ投手で、現在でもトップのサイドハンド投手として知られている。通算勝利数152はKBOリーグ歴代4位(2022年7月時点)の数字である。
詳細情報
[編集]背番号
[編集]- 19 (1989年 - 1999年、2002年 - 2005年)
- 16 (2000年 - 2001年途中)
- 13 (2001年途中 - 同年終了)
- 72 (2006年 - 2007年)
- 77 (2008年 - 2012年)
- 89 (2013年 - 2016年)
- 71 (2017年 - )
代表歴
[編集]- 2003アジア五輪予選
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- 選手の各国通算成績 KBO