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李叔平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
李叔平
『大満洲国建国紀念写真帖』(1934年)
プロフィール
出生: 1896年光緒22年)[1][2][3]
死去: 没年不詳
出身地: 清の旗 盛京将軍管轄区瀋陽県 [2]
職業: 官僚
各種表記
繁体字 李叔平
簡体字 李叔平
拼音 Lǐ Shūpíng
ラテン字 Li Shu-p’ing
和名表記: り しゅくへい
発音転記: リー・シューピン
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李 叔平(り しゅくへい、1896年 – 没年不詳)は、中華民国満洲国の官僚。

事績

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日本に留学し、東京高等工業学校機械科を卒業。1922年民国11年)から奉天紡紗廠工務長、四洮鉄路機務分段長、洮昂鉄路局工程師、呼海鉄路局機械科長、中東鉄路総工廠長を歴任している[2]

満洲国建国後の1932年大同元年)9月に東省特別区市政管理局秘書となり、翌1933年(大同2年)4月にハルビン市政籌備所総務科長、7月に同市公署行政処長と歴任する。1934年康徳元年)12月に浜江省民政庁長、1936年(康徳3年)に土木局副局長、1937年(康徳4年)に吉林省土木庁長[2]1939年(康徳6年)1月、開拓総局拓地処長に任命された[4]

1941年(康徳8年)10月11日、李叔平は北安省長に起用された[5]1944年(康徳11年)12月16日、中央へ呼び戻され、禁煙総局長に改任された[6]

1945年以後における李叔平の動向は不明である。

脚注

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出典

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  1. ^ 満蒙資料協会(1943)、1259頁。
  2. ^ a b c d 外務省情報部編(1937)、690頁。
  3. ^ 武(1995)、251頁。
  4. ^ 満蒙資料協会(1940)、1219頁。
  5. ^ 満洲国史編纂委員会編(1956)、137頁。
  6. ^ 「人事異動」『同盟時事月報』8巻12号通号223号、昭和19年12月号(昭和20年1月14日発行)、同盟通信社、72-73頁。

参考文献

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  • 満蒙資料協会編『満洲紳士録 第四版』満蒙資料協会、1943年。 
  • 満蒙資料協会編『満洲紳士録 第三版』満蒙資料協会、1940年。 
  • 外務省情報部編『現代中華民国満洲帝国人名鑑 昭和十二年版』東亜同文会業務部、1937年。 
  • 『大満洲帝国名鑑 昭和九年版』挙国社、1934年。 
  • 満洲国史編纂委員会編『満洲国年表 本編』満蒙同胞援護会、1956年。 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
  満州国
先代
寿聿彭
北安省長
1941年6月1日 – 1944年12月16日
次代
王秉鐸