杉田雄
杉田 雄 | |
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生誕 |
杉田英吉 安政5年12月22日(1859年1月25日) 武蔵国江戸浜町山伏井戸(東京都中央区日本橋浜町二丁目) |
死没 |
1906年(明治39年)7月31日 兵庫県神戸市坂本村 |
死因 | 脊髄炎 |
国籍 | 大日本帝国 |
教育 | 東京大学医学部 |
親戚 | 杉田玄端(父)、杉田武(兄)、杉田盛・杉田六蔵(弟) |
医学関連経歴 | |
職業 | 医師、教師 |
所属 | 東京大学医学部第一医院、兵庫県立神戸医学校・神戸病院、私立杉田病院、東山避病院 |
専門 | 外科 |
杉田 雄(すぎた いさお/ゆう[1]、安政5年12月22日(1859年1月25日) - 1906年(明治39年)7月31日)は、明治時代の兵庫県神戸市の外科医。県立神戸医学校教諭・神戸病院副院長、私立杉田病院長、神戸市医師組合初代組長。脊髄炎で早世した。号は春嵐[2]。杉田玄白4世孫。
経歴
[編集]修学
[編集]安政5年12月22日(1859年1月25日)江戸浜町山伏井戸(東京都中央区日本橋浜町二丁目[4])に杉田玄端の四男として生まれた[2]。幼名は英吉[2]/英吉郎[5]。7歳で木村二梅に習字、高須某に漢学を学んだ[2]。
明治元年(1868年)10月、徳川宗家の転封に従い両親・弟杉田盛と共に沼津八幡町柳下知之旧宅に移り[6]、沼津兵学校附属小学校に通いながら[7]、相磯格堂にも漢籍を学んだ[2]。
廃校後、明治5年(1872年)兄杉田武に呼ばれて上京し[8]、三崎嘯輔にドイツ語を学んだ[1]。10月大学東校に入学し、予科・本科を修めた[2]。1879年(明治12年)東京府コレラ検疫委員[9]。1880年(明治13年)7月東京大学医学部第2期生として卒業し、医学士となった[2]。1881年(明治14年)1月医学部第一医院外科当直医となり、エミール・シュルツェ、ユリウス・スクリバに外科学を学び[10]、エルヴィン・フォン・ベルツにも師事した[11]。
神戸での活動
[編集]1882年(明治15年)7月兵庫県立神戸医学校一等教諭[10]、1884年(明治17年)5月県立神戸病院副院長(外科部長[11])となり、患者の美容整形や外科防腐法の改良で名声を高め、医学校では外科臨床を講義した[10]。在職中、京都府・大阪府で医術開業試験委員を務めた[10]。
1886年(明治19年)12月病院・医学校を退職し、1887年(明治20年)3月神戸区坂本村に私立杉田病院を開業した[10]。1889年(明治2年)神戸医師総代として神戸基督教会堂を買収して医会堂を建設し[12]、1890年(明治23年)神戸市医師組合を設立した[13]。その他、私立明石病院教師、加東・加古・菟原・武庫諸郡連合医師研究会顧問、私立大日本私立衛生会委員、兵庫県医会長、東山避病院長等を兼ねた[10]。
1893年(明治26年)病気となり[1]、知人に院長代理を任せたが、客足が遠のいたため、2月弟杉田盛を招いて院主とし、経営を立て直した[14]。9月頃病状が快復し、診療に復帰した[14]。1906年(明治38年)7月31日[15]脊髄炎で[16]死ぬ当日午前まで診療を続け[11]、青山墓地に葬られた[17][15]。
家族
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c 現今人名辞典 1900, p. すノ4.
- ^ a b c d e f g 木村 1894, p. 41.
- ^ 寺島 2014, pp. 27–28.
- ^ 樋口 2006, p. 117.
- ^ a b 原田 1942, p. 26.
- ^ 樋口 2006, pp. 110–112, 118.
- ^ 樋口 2006, p. 120.
- ^ 樋口 2006, p. 114.
- ^ 木村 1894, pp. 41–42.
- ^ a b c d e f 木村 1894, p. 42.
- ^ a b c 石原 1986, p. 12.
- ^ 神戸市医師会 1937, pp. 109–111.
- ^ 神戸市医師会 1937, pp. 51–53.
- ^ a b 木村 1894, p. 43.
- ^ a b c “杉田玄白の末裔 杉田鶴子”. 墓守たちが夢のあと (2015年4月25日). 2018年1月30日閲覧。
- ^ 寺島 2014, p. 30.
- ^ 石原 1986, p. 14.
- ^ 樋口 2006, p. 110.
- ^ 大野 1943, p. 155.
- ^ 『人事興信録』 上巻(第13版)、人事興信所、1941年10月、ス34頁。NDLJP:3430443/887
- ^ 石原 1958, p. 11.
参考文献
[編集]- 木村銀次郎『近畿名士偉行伝』 第3編、光世館、1894年6月。NDLJP:777612/27
- 『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1900年9月。NDLJP:780082/697
- 『神戸市医師会沿革史』神戸市医師会、1937年6月。NDLJP:1047075/57
- 原田謙太郎「杉田玄白の家系」『日本医事新報』第1036号、日本医事新報社、1942年7月25日。
- 大野虎雄『沼津兵学校附属小学校』大野虎雄、1943年6月。NDLJP:1461378/93
- 石原兵永「杉田つる博士の生涯」『杉田つる博士小伝』杉田追憶文集刊行会、1958年4月。
- 樋口雄彦「杉田盛の六十年回想記」『静岡県近代史研究』第31号、静岡県近代史研究会、2006年11月。
- 寺島俊雄「1枚の卒業記念写真 : 神田知二郎と杉田雄」『神緑会ニュースレター』第6巻第1号、神緑会、2014年5月、27-32頁、hdl:20.500.14094/90003009、NAID 120005677789。