札幌市立北九条小学校
札幌市立北九条小学校 | |
---|---|
北緯43度04分22.0秒 東経141度21分8.6秒 / 北緯43.072778度 東経141.352389度座標: 北緯43度04分22.0秒 東経141度21分8.6秒 / 北緯43.072778度 東経141.352389度 | |
過去の名称 |
北九条尋常高等小学校 札幌市立北九条尋常高等小学校 札幌市立北九条尋常小学校 札幌市北九条国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 札幌市 |
設立年月日 | 1901年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B101210220012 |
所在地 | 〒060-0809 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
札幌市立北九条小学校(さっぽろしりつ きたくじょうしょうがっこう)は、北海道札幌市北区にある公立小学校。1901年開校。
教育
[編集]北海道大学が近隣に位置していて海外の研究者などが札幌市内で生活していることから、日本語指導を必要とする児童を受け入れ、日本語専門の授業を週に一度開講している。日本語指導の担当教諭は日本国の予算で配置されている[1]。
学校行事
[編集]北九条小学校の代表的な学校行事としてリトルキャンプがある。リトルキャンプは1988年以前から行われているイベントで、餅つきや体育館でのゲーム、消防はしご車体験、北海道大学公認YOSAKOIソーランチーム"縁"による演舞、キャンプファイヤーなどが開催されている[2]。
沿革
[編集]1892年に上守祐真が札幌農学校の付属農場を利用して開いた小学校は、1896年に私立小学校としての認可を受け私立上守尋常小学校と称していた[3]。私立上守尋常小学校は1897年に廃校となり、公立創成尋常小学校の第一分校が設置された。設置の理由は、一部の創成尋常小学校の児童が通学時に鉄道路線を横切る必要があり、危険であったためと説明されている[4]。
児童数が増加したことから、第一分校は1901年に分離独立し、高等科を設置して北九条尋常高等小学校と改称。札幌区が区制を施行した後に初めて設置した初等教育機関となった。当時は14学級中4学級で児童を二部に分割して時間を分けて講義する、二部教授が児童数増加への対処として採用された[4]。1922年に札幌市立北九条尋常高等小学校へ改称。1924年には北光尋常小学校が開校され、児童数が5年生以下の児童852人が移動、1929年には同校に高等科が設置されたため高等科121人が移動した[3]。また、1928年には札幌市立桑園小学校の設立に伴って児童の転出があった[5]。1931年に高等科を分離して札幌市立北九条尋常小学校に改称[3]。
1934年、札幌市立幌北小学校が開校され児童509人が移動。1941年に札幌市北九条国民学校、1947年に札幌市立北九条小学校へ改称。1944年から実施されていた味噌汁給食は1951年に完全給食へ移行。1955年に健康優良学校第1位として北海道教育委員会の表彰を受ける[3]。1956年2月に衛生室付近で出火し、消火設備の不備もあって校舎がほぼ全焼、備品も搬出できず、約4000万円に上る損害を出した。その後は北光小学校や幌北小学校の校舎を借りて授業が行われ、1957年9月に新校舎が完成した[3]。その後数回の通学区域変更を受ける[3]。
1983年、アメリカ合衆国オレゴン州ポートランドのバーノン小学校と姉妹校調印。1987年にパソコン室を開設し、1989年にパソコンの教育実践活動などから第34回学研教育賞を受賞[3]。
ギャラリー
[編集]-
北側
-
南側
出身者
[編集]- 伊藤豊次(札幌商工会議所第9代会頭)[6]
- 小川譲二(元北海道開発局長)[6]
- 小川マリ(洋画家)[6]
- 片岡球子(日本画家)[3]
- 木田優夫(野球選手)[7]
- 堂垣内尚弘(元北海道知事)[3]
- 三岸好太郎(洋画家)[8]
- 和田寿郎(医師)[6]
出典
[編集]- ^ シラベルカ (2020年9月16日). “シラベルカ#22 外国出身の子どもたち 日本語教育にハードルが”. NHK. 2021年5月24日閲覧。
- ^ “北九条小学校で「リトルキャンプ2018」が行われました!”. 札幌市北区役所 (2018年6月25日). 2021年5月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “北九条小 百年のあゆみ”. 札幌市立北九条小学校. 2021年5月24日閲覧。
- ^ a b 『新札幌市史 第3巻 通史3』1994年、685-691頁 。
- ^ “桑園小学校の歩み”. 札幌市立桑園小学校. 2021年5月26日閲覧。
- ^ a b c d 『きたくじょう』52頁
- ^ “木田GM補佐が札幌市内の小学校で野球教室を開催”. 北海道日本ハムファイターズ (2015年11月28日). 2021年5月24日閲覧。
- ^ 匠秀夫『三岸好太郎 昭和洋画史への序章』求龍堂、1992年8月15日、458頁。ISBN 978-4763092090。
参考文献
[編集]- 札幌市立北九条小学校開校七十周年記念行事協賛会『きたくじょう』1971年。