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小川譲二

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小川 譲二(おがわ じょうじ、1904年4月10日[1] - 1974年1月21日[2])は、技官官僚工学者北海道大学出身初の北海道開発局局長。学校法人北海学園理事長。また、北海道における治水事業の第一人者である。

来歴

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北海道札幌市生まれ。1928年北海道帝国大学工学部土木工学科を第1期生として卒業。

北海道庁に入庁し、札幌治水事務所に勤務。その後、釧路土木事務所所長、帯広土木現業所所長、石狩川治水事務所所長、北海道電源開発推進部長等を経て、1951年総理府技官・北海道開発局初代建設部長、1957年北海道開発局二代局長。1959年停年退官。1960年富士セメント(現、日鉄住金セメント)コンクリート工場建設実施本部長。1961年室蘭工業大学工学部講師。1962年北海短期大学工学科教授(土木行政論・土木経済論)。1970年学校法人北海学園理事長。1973年北海学園大学工学部教授(運輸学・交通学)。

退官後の公職では1962年北海道総合開発委員会委員。1963年財団法人北海道開発協会を創設して会長に就任。1965年北海道建設業審議会会長を務めた。

1974年1月21日、蓄膿症のため死去[2]

エピソード

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人物・家族

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論文

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  • 『日本の蓬莱島「北海道」』(国土開発、1953年)
  • 『北海道の道路と河川の特異性』(国土開発、1956年)

脚注

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  1. ^ 『日本人事録 東日本編4版』(中央探偵社、1960年)p.215
  2. ^ a b 『北海道年鑑 1975年版』(北海道新聞社、1975年)p.768

参考文献

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先代
上原轍三郎
北海学園理事長
第6代: 1970年 - 1974年
次代
森本正夫