コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

本遠寺 (川崎市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
本遠寺
本遠寺
所在地 神奈川県川崎市宮前区初山1丁目2-1
位置 北緯35度36分6.95秒 東経139度33分56.06秒 / 北緯35.6019306度 東経139.5655722度 / 35.6019306; 139.5655722座標: 北緯35度36分6.95秒 東経139度33分56.06秒 / 北緯35.6019306度 東経139.5655722度 / 35.6019306; 139.5655722
山号 初香山
宗旨 日蓮宗
寺格 平僧寺跡
本尊 三宝尊
創建年 建治元年(1275年)
開山 日朗
中興年 永禄2年(1559年)
中興 初香院日受
正式名 初香山本遠寺
公式サイト 日蓮宗初香山本遠寺
法人番号 3020005007457 ウィキデータを編集
本遠寺 (川崎市)の位置(神奈川県内)
本遠寺 (川崎市)
テンプレートを表示

本遠寺(ほんのんじ)は、神奈川県川崎市宮前区初山日蓮宗寺院。

概要

[編集]

山号は初香山。旧本寺大本山池上本門寺、旧寺格は平僧寺跡。池上中道不二庵法類の神楽坂法縁に属する。稲毛門中朗師講[1] の一である。

歴史

[編集]

寺伝によれば、建治元年(1275年)に日蓮の高弟・六老僧の一人である大國阿闍梨日朗が一夜の宿を求めた民家をその淵源としている。後にこの民家が寺院となり30代の住職を数えたが、この間に発生した風水害により堂宇が荒廃し過去帳等の記録が散逸した。『新編武蔵風土記稿』によれば、永禄2年(1559年)に初香院日受が再興し6年に亘り住持を務めた後、永禄7年(1564年)3月1日に寂したという。その後8年間は住持不在が続いたが、元亀2年(1571年)に身延山久遠寺第17世・慈雲山瑞輪寺開山の慈雲院日新の弟子である日立が入寺した。[2] その後、天正10年(1582年)了因坊日安の代に下菅生村の横山七右衛門や上菅生村の石巻三之助の寄進を得て伽藍を整備。天正19年(1591年)には、後に江戸幕府を開く徳川家康より境内地(35間×28間)の年貢を免除された[3]慶長18年(1613年)11月に日安の弟子である宗學坊日慶が入寺すると、日慶は境内地の拡張を志し7度に亘り幕府に嘆願書を提出した。そして7度目の嘆願の際に松平信綱の取り次ぎを承け、境内地に隣接する山頂に77間×37間の添地が与えられた。これが現在の境内である。大正12年(1923年)には境内地に向丘図書館が設立され、川崎市に現存する最古の私立図書館として現在も活用されている。なお、境内には内藤法美越路吹雪夫妻の墓所がある。

歴代住持

[編集]
歴代 法号
(俗姓・道号)
命日(享年[数え年]) 経歴
開山 大國阿闍梨日朗[4]
(平賀氏)
元応2年(1320年)1月21日(78歳) 大本山 長栄山本門寺(東京都大田区池上) 2世
大本山 具足山妙顕寺(京都府京都市上京区) 2世
大本山 大光山本圀寺(京都府京都市山科区) 2世
本山 塚原山根本寺(新潟県佐渡市新穂大野) 2世
本山 長谷山本土寺(千葉県松戸市平賀) 2世
本山 長崇山本行寺(東京都大田区池上) 2世
本山 長興山妙本寺(神奈川県鎌倉市大町) 2世
本山 広布山本満寺(京都府京都市上京区) 2世
本山 具足山妙覚寺(京都府京都市上京区) 2世
本山 具足山立本寺(京都府京都市上京区) 2世
法華宗陣門流総本山 長久山本成寺(新潟県三条市西本成寺) 開山
日蓮宗不受不施派大本山 龍華山妙覚寺(岡山県岡山市北区) 2世
長興山本行院(神奈川県鎌倉市大町) 開山
その他 多数
2世~14世 不詳
15世 圓教院日孝 長禄3年(1459年)9月19日
16世 不詳
17世 到岸院日運 文正元年(1466年)7月24日
18世~30世 不詳
中興31世 初香院日受 永禄7年(1564年)3月1日
32世 了因坊日安
33世 宗學坊日慶
34世 通忍院日習
35世 晴雲院日明
36世 本妙院日詳 寛延3年(1750年)9月28日
37世 本源院日尋 元文5年(1740年)4月15日
38世 了信院日元 宝暦2年(1752年)7月15日
39世 峰林院日有 天明4年(1784年)2月10日
40世 諦如院日淳 享和元年(1801年)7月24日
41世 覺了院日秀 寛政6年(1794年)7月7日
42世 存道院日秀 寛政6年(1794年)8月22日
43世 聖賢院日是 寛政10年(1798年)1月4日
44世 妙達院日敬 文政3年(1820年)1月26日(65歳) 八幡山法蓮寺(東京都品川区旗の台) 38世
45世 祥敬院日惠
46世 舜泰院日解 清月山覚蔵寺(東京都杉並区下高井戸) 19・22世
47世 是正院日詣 慧光山厳定院(東京都大田区池上) 29世か[5]
48世 逞壽院日行
(弁意)
南谷檀林 朗慶山照栄院(東京都大田区池上) 93世能化
妙祐山理境院(東京都大田区池上) 歴世
妙珍山蓮昌寺(神奈川県小田原市本町) 44世
49世 舜浄院日受
50世 是妙院日勇
(観亮)
嘉永5年(1852年)3月23日 慧光山厳定院(東京都大田区池上) 歴世[6]
51世 善種院日恁
(是真)
長覚山高応寺(埼玉県三郷市早稲田) 19世
52世 延寿院日秀
(山下延淳)
明治24年(1891年)11月26日
53世 慈貫院日專
(飯田玄琢)
大正6年(1917年)11月29日(71歳) 朗栄山常眞寺(神奈川県横浜市港北区) 36世
潮見台教会(神奈川県川崎市宮前区) 三開山の一
54・55世 法孝院日為
(町田錬秀)
昭和13年(1938年)6月9日(52歳) 光栄山長福寺(千葉県勝浦市杉戸)41世
56世 大和院日透
(町田堯順)
平成17年(2005年)10月18日(91歳) 権大僧正
57世 本生院日談
(町田順文)

交通

[編集]

近隣施設

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 武蔵国橘樹郡稲毛領に点在する大本山池上本門寺直末6ヶ寺(法言山安立寺龍燈山善立寺初香山本遠寺秋興山淨元寺興林山宗隆寺法性山圓融寺)の総称。
  2. ^ 本遠寺の歴世としては数えられていない。
  3. ^ 新編武蔵風土記稿 下菅生村.
  4. ^ 筑後房・正法院とも号した。
  5. ^ 『日蓮宗寺院大鑑』によれば厳定院の歴世に名がない。ただ29・31・32世が不明となっている事から、年代的に29世と推察される。
  6. ^ 『日蓮宗寺院大鑑』によれば厳定院の歴世に名がない。29世が是正院日詣であると仮定した場合、31・32世のいづれかになる

参考文献

[編集]
  • 「下菅生村 本遠寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ60橘樹郡ノ3、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763983/62 
  • 宗祖第七百遠忌記念出版『日蓮宗寺院大鑑』/日蓮宗寺院大鑑編集委員会/大本山池上本門寺/(1981年)
  • 『初香山本遠寺寺誌』/町田堯順・町田順文/初香山本遠寺/平成10年(1998年)

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]