本揖斐駅
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本揖斐駅 | |
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駅舎(2001年8月撮影) | |
ほんいび HON IBI | |
◄清水 (2.2 km) | |
所在地 |
岐阜県揖斐郡揖斐川町三輪 北緯35度29分1秒 東経136度34分50.6秒 / 北緯35.48361度 東経136.580722度座標: 北緯35度29分1秒 東経136度34分50.6秒 / 北緯35.48361度 東経136.580722度 |
所属事業者 | 名古屋鉄道 |
所属路線 | 揖斐線 |
キロ程 | 18.3 km(忠節起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面2線(実質1面1線) |
乗降人員 -統計年度- |
786人/日 -1992年[1]- |
開業年月日 | 1928年(昭和3年)12月20日 |
廃止年月日 | 2001年(平成13年)10月1日 |
本揖斐駅(ほんいびえき)は、岐阜県揖斐郡揖斐川町三輪にあった名鉄揖斐線の駅である。同線の終着駅でもあった。
歴史
[編集]揖斐線は前身である岐北軽便鉄道によって忠節駅から美濃北方駅まで、そして同社を吸収した美濃電気軌道により美濃北方駅から黒野駅まで順次延伸されてきた。黒野駅から当駅まで路線が伸びたのは1928年(昭和3年)のことである。駅は揖斐郡の中心街であった揖斐町本通りの東端に置かれた[2]。揖斐には養老鉄道(初代)の揖斐駅が1919年(大正8年)に開業しており[2]、同駅と紛らわしいことから、駅名は町の中心部にあるという意味で「本」を冠していた。
揖斐線は戦後に岐阜市内線と接続、当駅には岐阜市内線の岐阜駅前駅から直通列車が乗り入れた[3]。しかしモータリゼーションの進展に伴い勢いは衰微、直通列車は朝夕を除いて手前の黒野駅で折り返すようになり、末期の黒野駅 - 当駅間の運行は日中1時間間隔になっていた。
そして名鉄のローカル線廃止の方針により、揖斐線の黒野駅 - 当駅間は1999年(平成11年)の美濃町線の新関駅 - 美濃駅間廃止に続いて、谷汲線などとともに2001年(平成13年)に廃止となり、当駅は廃駅となった。
- 1928年(昭和3年)12月20日 - 美濃電気軌道北方線の黒野駅 - 当駅間の開業により開設[4][5]。
- 1930年(昭和5年)8月20日 - 美濃電気軌道が名古屋鉄道(初代。同年中に名岐鉄道に改称し、1935年より名古屋鉄道に再改称)に合併。同社の揖斐線となる[5]。
- 1997年(平成9年)6月1日- 無人駅化。
- 2001年(平成13年)10月1日 - 揖斐線の黒野駅 - 当駅駅間廃止に伴い廃駅[6]。
- 2005年(平成17年) - 駅舎が解体される[7]。
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駅跡地(2017年5月)
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路線跡東側(2017年5月)
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路線跡舗装化の国道303号線隣接地点
(2017年5月)
駅構造
[編集]配線は島式ホーム1面2線であったが、末期に使用されていたのは南側の1番線のみで、北側の2番線は駐輪場になっていた[8]。また車両1両分の長さであるものの、ホームを2線とも覆うように巨大な屋根がかけられていた[8]。
駅舎は木造ながらある程度の規模を持っていたが、廃線後に取り壊されて更地となった。駅舎の西側にはコンクリート製でドーム状のトイレが設けられていた[8]。
配線図
[編集] → 忠節方面 |
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凡例 出典:[9] |
利用状況
[編集]- 『名古屋鉄道百年史』によると1992年度当時の1日平均乗降人員は786人であり、この値は岐阜市内線均一運賃区間内各駅(岐阜市内線・田神線・美濃町線徹明町駅 - 琴塚駅間)を除く名鉄全駅(342駅)中244位、 揖斐線・谷汲線(24駅)中6位であった[1]。
隣の駅
[編集]代替交通手段
[編集]- 揖斐川町コミュニティバス:本揖斐バス停[10](駅跡地から東50メートル先に乗り場ロータリーを整備)
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本揖斐バス停・全景
(2017年5月) -
バス停標識・ロータリー
(2017年5月)
脚注
[編集]- ^ a b 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、651-653頁。
- ^ a b 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年、48-49頁。ISBN 4-87670-097-4。
- ^ 川島令三『全国鉄道事情大研究』 名古屋北部・岐阜篇 1、草思社、1997年、139頁。ISBN 4-7942-0796-4。
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1928年12月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年、220-230頁。ISBN 4-87670-097-4。
- ^ 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 7 東海、新潮社、2008年、52-53頁。ISBN 978-4-10-790025-8。
- ^ 写真の通りに跡地は公衆トイレとなり、路線跡も500mが再開発整備で舗装化されている。
- ^ a b c 川島令三『全国鉄道事情大研究』 名古屋北部・岐阜篇 1、草思社、1997年、144頁。ISBN 4-7942-0796-4。
- ^ 電気車研究会、『鉄道ピクトリアル』通巻第473号 1986年12月 臨時増刊号 「特集 - 名古屋鉄道」、付図「名古屋鉄道路線略図」
- ^ 名阪近鉄バス (2015年9月1日). “路線系統図と沿線案内(揖斐川町コミュニティバス)” (PDF). 揖斐川町. 2017年5月18日閲覧。
参考文献
[編集]- 徳田耕一『名鉄600V線の廃線を歩く-惜別の“岐阜線”と空港線誕生』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年。ISBN 978-4-53305-883-7。
- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 7 東海、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790025-8。