末延三次
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人物情報 | |
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生誕 |
1899年12月5日 日本 熊本県熊本市 |
死没 | 1989年7月24日(89歳没) |
居住 | 日本 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 東京帝国大学法学部法律学科 |
学問 | |
研究分野 | 英米法 |
研究機関 | 東京大学 |
主な指導学生 | 海原文雄、伊藤正己、土屋喜平、大木雅夫、田中英夫 |
学位 | 法学博士 |
主な業績 | 『英米法概論』、『英米法の研究』 |
影響を受けた人物 | 土方寧、高柳賢三 |
主な受賞歴 |
勲四等瑞宝章(1938年) 勲三等瑞宝章(1942年) |
末延三次(すえのぶ さんじ、1899年12月5日 - 1989年7月24日)は、日本の法学者。専門は英米法。学位は法学博士。東京大学名誉教授。立教大学法学部元教授。末延道成の養子(旧姓・平井)。日本学士院会員。末延財団設立者、同初代理事長[1]。土方寧、高柳賢三に師事[2]。弟子に海原文雄、伊藤正己、土屋喜平、大木雅夫、田中英夫など。
来歴
[編集]熊本県熊本市西唐人町の坪井川沿いで蝋燭・マッチ商を営んでいた平井茂八の三男として生まれる[3][4]。五高、東京帝国大学を出て、東京帝国大学助手を経て助教授となり、1928年英国留学、ケンブリッジ大学で学んだのち渡米し、イエール大学、ハーバード大学で研究[3][5]。帰国後教授となる。日本にプライバシーの権利を最初に紹介した[3][4]。その後、三菱の番頭末延道成の養嗣子となり末延姓を名乗る[3]。 道成より相続した財産により1933年に末延財団を設立、同初代理事長[1]。豊川鉄道主要株主。比較法学会理事長[6]。
妻の八重子は、三菱創業時幹部石川七財の孫で、東京女学館卒[5][7]。養父の末延道成は、妻八重子の伯母の夫に当たる[7][5]。声楽家の平井美奈子は弟・平井誠の妻[3]。妹の照子は熊本県多額納税者の製油肥料商・竹田佐平の長男の妻[8]。
略歴
[編集]- 1917年 旧制熊本中学(現・熊本県立熊本高等学校)卒業。
- 1920年 旧制第五高等学校 卒業。
- 1923年 東京帝国大学法学部英法科卒業。同助手。
- 1925年 東京帝国大学助教授。
- 1928年 ケンブリッジ大学にて在外研究。
- 1929年 イエール大学にて在外研究。
- 1930年 コーネル大学、ハーバード大学にて在外研究。
- 1932年 東京帝国大学教授。
- 1933年 末延財団設立。同初代理事長。
- 1938年 勲四等瑞宝章。
- 1942年 勲三等瑞宝章。
- 1946年 臨時法制調査会委員。
- 1948年 最高裁判所民事規則制定諮問委員会。
- 1950年 比較法学会理事長。
- 1960年 東京大学法学部定年退官、同名誉教授。立教大学法学部教授に就任。
- 1970年 日本学士院会員。
著書
[編集]- 『英米法概論』
- 『英米法の研究』東京大学出版会、1959-60
共編著
[編集]- 英米法教材 第6巻 信託法 高柳賢三共編 有斐閣、1933
- 英米法辞典 高柳賢三共編 有斐閣 1952
- 現代アメリカの展望 一九五四年度「アメリカ研究」セミナー公開講義 東京大学出版会 1954
- 人権宣言集 高木八尺,宮沢俊義共編 1957 岩波文庫
訳書
[編集]- 法における常識 P・G・ヴィノグラドフ 伊藤正己共訳 岩波書店 1951 のち文庫
- 法の任務 R・パウンド 岩波書店 1954
- 条解米国契約法 アメリカ法律協会編 弘文堂 1957
- イギリス法原理 W・M・ゲルダート 東京大学出版会 1958
記念論集
[編集]- 英米私法論集 末延三次先生還暦記念 東京大学出版会 1963
脚注
[編集]- ^ a b 末延財団の概要末延財団
- ^ “末延三次『英米法の研究 上』(東京大学出版会、1959)”. dl.ndl.go.jp. 2023年8月1日閲覧。
- ^ a b c d e 熊本における地域百年企業のDNA 合資会社高橋商店のケース・スタディ幸田亮一、熊本学園大学産業経営研究第26号、2007年3月
- ^ a b 末延三次(すえのぶさんじ)谷中・桜木・上野公園路地裏徹底ツアー
- ^ a b c 平井三次『帝国大学出身名鑑』校友調査会 昭和9
- ^ 比較法学会総会関西大学校友会『関学』155号、昭和30年8月6日
- ^ a b 石川七財『財界物故傑物伝』実業之世界社編輯局編、実業之世界社、1936
- ^ 竹田佐平 『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]