木原頼三
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木原 頼三(きはら らいぞう、旧姓・副島、1847年8月14日(弘化4年7月4日)[1] - 1920年(大正9年)4月9日[2])は、日本の政治家、銀行家。諫早銀行頭取[1][3]。族籍は長崎県士族[1][3]。
人物
[編集]長崎県士族・副島彌次右衛門の長男[1][3]。1873年に先代與一右衛門の養子となり、1879年に家督を相続する[1][3]。名誉職郡参事会員である[4]。諫早銀行頭取[1]・同行取締役[5]、北高来郡役所書記[6][7]、諫早村会議員[8]などをつとめる。
1920年4月9日に死去[2]。戒名は調鶴院松月清高居士[2]。住所は長崎県北高来郡諫早村[1][3](現・諫早市)。
家族
[編集]- 木原家
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第4版』き1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年7月26日閲覧。
- ^ a b c d 『諫早市史 第3巻』497頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第5版』き1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年7月26日閲覧。
- ^ 『職員録 明治41年 乙』長崎県127頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年7月26日閲覧。
- ^ 『日本全国諸会社役員録 第24回』長崎県 上編754頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年8月6日閲覧。
- ^ 『職員録 明治21年 乙』長崎県54頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月22日閲覧。
- ^ 『職員録 明治24年 乙』長崎県65頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月22日閲覧。
- ^ 『長崎県大観 大典記念』273頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月22日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第17版』き8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月22日閲覧。