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有田町立有田中部小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
有田町立有田中部小学校
有田町立有田中部小学校
地図北緯33度11分0.0秒 東経129度52分39.6秒 / 北緯33.183333度 東経129.877667度 / 33.183333; 129.877667座標: 北緯33度11分0.0秒 東経129度52分39.6秒 / 北緯33.183333度 東経129.877667度 / 33.183333; 129.877667
過去の名称 外尾小学校
中等外尾小学校
尋常外尾小学校
外尾尋常小学校
外尾尋常高等小学校
外尾尋常小学校
有田村外尾国民学校
東有田町国民学校
東有田町立東有田小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 有田町
設立年月日 1873年
共学・別学 男女共学
学校コード B141240100025 ウィキデータを編集
所在地 848-0018
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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有田町立有田中部小学校(ありたちょうりつありたちゅうぶしょうがっこう)は、佐賀県西松浦郡有田町本町にある公立小学校。

概要

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有田焼の産地として知られる有田町にある。2021年度の児童数は499名(特別支援学級の27名を含む)[1]。焼き物作りを体験できる洗心館という施設がある。

沿革

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創立は1873年(明治6年)。1951年(昭和26年)に火災で校舎が全焼した後、1952年(昭和27年)現在地(原宿)に移転を完了。1954年(昭和29年)に現校名に改称した[2]。現在の校舎は2003年(平成15年)に建設された。2023年(令和5年)、創立150周年を迎えた[2][3]

前史
  • 1872年(明治5年)10月 - 善福院(民家)に私立学校が設立される。
本史
  • 1873年(明治6年)- 校舎が完成し、「外尾小学校」(外尾の読みは「ほかお」)と称する。
  • 1875年(明治8年)
    • 4月 - 「中等外尾小学校」に改称。
    • 7月 - 大野に分校を設置。
  • 1876年(明治9年)- 大野分校を廃止。
  • 1877年(明治10年)- 戸矢と黒牟田に分校を設置。後に分教場とする。
  • 1886年(明治19年)- 小学校令の施行により、尋常科(修業年限4年)を設置の上、「尋常外尾小学校」に改称。
  • 1889年(明治22年)- 黒牟田分教場を廃止。
  • 1890年(明治23年)- 校舎を新築。この年の5月に戸矢分教場を廃止。
  • 1892年(明治25年)4月 - 「外尾尋常小学校」に改称。
  • 1899年(明治32年)9月 - 古木場に1・2年生対象の徳成分教場を設置。
  • 1901年(明治34年)4月 - 高等科を設置の上、「外尾尋常高等小学校」に改称(尋常科4年・高等科2年)。徳成分教場を古木場分教場に改称。
  • 1903年(明治36年)5月 - 高等科の修業年限を2年から4年に延長(尋常科4年・高等科4年)。
  • 1908年(明治41年)4月 - 改正小学校令により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長される(尋常科6年・高等科2年)
  • 1921年(大正10年)1月 - 外尾実業補習学校が併設され、開校。
  • 1926年(大正15年)
    • 7月 - 青年訓練所が併設される。
    • 11月 - 木造新校舎(4棟25教室)が完成。
  • 1928年(昭和3年)3月 - 実業補習学校と青年訓練所が小学校高等科と統合の上、外尾公民学校となる。そのため、「外尾尋常小学校」に改称。
  • 1933年(昭和8年)6月 - 火災により、校舎2棟を焼失。
  • 1934年(昭和9年)5月 - 木造新校舎が完成。
  • 1935年(昭和10年)
    • 1月 - 学校給食を開始。外尾少年消防隊を結成。
    • 4月 - 青年学校令の施行により、外尾公民学校が有田村実業青年学校となる。
  • 1940年(昭和15年)- 50m水泳場が完成。
  • 1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令の施行により、「有田村外尾国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年)。
  • 1942年(昭和17年)- 金属製の二宮尊徳像を戦争のため供出する。
  • 1944年(昭和19年)- 石造りの二宮尊徳造を設置。
  • 1947年(昭和22年)
    • 1月 - 有田村が町政施行のため、東有田町となったため、「東有田国民学校」に改称。
    • 4月1日 - 学制改革(六・三制)が行われる。
      • 国民学校初等科が改組され、「東有田町立東有田小学校」となる。
      • 国民学校高等科が青年学校普通科と改組され、新制中学校 東有田町立東有田中学校が発足。当面の間、小学校に併設される。
    • 11月 - 学校給食を再開。
  • 1949年(昭和24年)4月 - 東有田中学校が有田中学校と統合される(有田町東有田町組合立有田中学校)。
    • 中学校の統合校舎が完成するまで、小学校校舎の使用は継続された。
  • 1950年(昭和25年)3月 - 中学校による小学校校舎の使用が終了。
  • 1951年(昭和26年)1月 - 火災により、校舎を焼失。
  • 1952年(昭和27年)- 新校舎が完成。
  • 1954年(昭和29年)4月1日 - 有田町と東有田町の合併により「有田町立有田中部小学校」(現校名)に改称。
  • 1956年(昭和31年)1月1日 - 西有田村の分村により、校区が改定され、西有田村立曲川小学校から南川良地区の児童が転入。
  • 1958年(昭和33年)
    • 4月 - 2階建て校舎を増築し、洗心館と称する。
    • 9月 - 完全給食を実施。
  • 1960年(昭和35年)8月 - 25mプールが完成。
  • 1961年(昭和36年)7月 - 低学年用小プールが完成。
  • 1962年(昭和37年)5月 - 体育館兼講堂が完成。
  • 1964年(昭和39年)2月1日 - 校歌を制定。
  • 1967年(昭和42年)- 裏門が完成。
  • 1974年(昭和49年)2月 - 創立100周年記念式典を挙行。
  • 1978年(昭和53年)3月 - プレハブ教室を設置。
  • 2003年(平成15年)- 鉄筋コンクリート造の新校舎が完成。

教育方針

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自ら気付き 人との関わりの中で自分らしさを発揮しながら 課題解決に向かう 児童の育成(2021年度)[2]

通学区域

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境野(さかいの)、古木場(ふるこば)、戸矢(とや)、大野(おおの)、桑古場(くわこば)、本町(ほんまち)、戸杓(としゃく)、外尾町(ほかおまち)、外尾山(ほかおやま)、丸尾(まるお)、赤坂(あかさか)、黒牟田(くろむた)、応法(おうぼう)、南原(なんばる)、南山(なんざん)[4]

進学先中学校

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校区内の主な施設

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交通

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参考資料

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  • 「有田町史 政治・社会編Ⅱ」(有田町史編纂委員会, 1986年(昭和61年)6月30日発行)
  • 「有田町史 索引・年表編」(有田町史編纂委員会, 1988年(昭和63年)8月31日発行)
  • 「ありがとう そして さようなら 校舎 - 有田中部小学校 創立130周年記念誌アルバム - 」(有田中部小学校 創立130周年記念事業実行委員会, 2003年(平成15年)10月1日発行)

脚注

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  1. ^ 有田町立有田中部小学校”. Gaccom. 2022年10月2日閲覧。
  2. ^ a b c 有田町立有田中部小学校”. 有田町. 2022年10月2日閲覧。
  3. ^ 有田町立有田中部小学校【140周年記念映像】”. YouTube. 2022年10月2日閲覧。
  4. ^ 町立小中学校の通学区域”. 有田町. 2022年10月2日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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