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有史時代における各国の出身人物による最初期の来日の年表

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

有史時代における各国の出身人物による最初期の来日の年表では、現在に存在しているそれぞれの国・地域の領域における出身者が過去最初に、もしくは最初期に日本に来航した事例を編年で紹介するものである。

注意

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この一覧は未完成です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています

この年表では、あくまで文字資料による記録に絞って記述しているため、考古学的な見地からさらに古い時代の交流が示唆されている場合もある。注記のない限り、各国から最初に来日した人物について網羅したと標榜する資料に拠っているものではなく、また今後の研究の進展によって随時変化しうるものであるということに留意する必要がある。また、現代と当時とで国の範囲や独立性について違いが発生している場合も多くあるが、明確化のために、現在(2018年)に国連に加盟している国家とヴァチカン市国に属しているとされる領域を基準に考えることにする。

一千年紀以前

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大韓民国の旗 韓国

中華人民共和国の旗 中国

朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮

イランの旗 イラン

インドの旗 インド

 ベトナム

ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン

  • 天平勝宝6年(754年) – 12月12 日、上記の鑑真らとともに安国(現在のブハラ)出身と推測される仏僧如宝が屋久島に来航した[9]。ただし出身国については「胡国の人」とされているだけである。俗姓とされる「安」から出身国が推測されているだけであり、例えば安息国(パルティアペルシャ地域、現在のイラン)である可能性も指摘されているなど、ウズベキスタン出身であると確定しているわけではない。

11世紀から15世紀

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モンゴルの旗 モンゴル

タイ王国の旗 タイ

16世紀

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ポルトガルの旗 ポルトガル

スペインの旗 スペイン

モザンビークの旗 モザンビーク

  • 天文15年(1546年)– この年来日したポルトガル商人ジョルジ・アルヴァレス(ポルトガル探検家ジョルジ・アルヴァレスとは同姓同名の別人)の船にモザンビーク出身の船乗りもしくは奴隷が乗船していた[15]

イタリアの旗 イタリア

オランダの旗 オランダ

カンボジアの旗 カンボジア

イギリスの旗 イギリス

17世紀

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マレーシアの旗 マレーシア

  • 17世紀初頭– オランダ人の奴隷としてマレー系の人々の来日が始まったと推測される[19]

ドイツの旗 ドイツ

  • 慶長19年(1614年)– 南ドイツ・ウルム出身のミヒャエル・ホーエンライターが、平戸のオランダ商館に1614年-1620年の間在勤[20]

ベルギーの旗 ベルギー

インドネシアの旗 インドネシア

フランスの旗 フランス

 スウェーデン

18世紀

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アイルランドの旗 アイルランド

ロシアの旗 ロシア

 ハンガリー

ポーランドの旗 ポーランド

ジンバブエの旗 ジンバブエ

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国

19世紀

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スイスの旗 スイス

 デンマーク

脚注

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  1. ^ 「蘇那曷叱知」『日本古代氏族人名辞典 普及版』吉川弘文館、2010年。ISBN 9784642014588 
  2. ^ 舎人親王 著「弓月君・阿直岐・王仁」、宇治谷孟 編『日本書紀(上) 全現代語訳』講談社〈講談社学術文庫〉、1988年。ISBN 4061588338 
  3. ^ 舎人親王 著「難波の高麗使人」、宇治谷孟 編『日本書紀(下) 全現代語訳』講談社〈講談社学術文庫〉、1988年。ISBN 4061588346 
  4. ^ “平城宮にペルシャ人の役人が働いていた!! 765年木簡が証明 「国際的知識で登用か」と専門家(1/2ページ)”. 産経WEST. (2016年10月5日). https://www.sankei.com/west/news/161005/wst1610050057-n1.html 
  5. ^ 『続日本紀』巻第十二 天平八年八月庚午条。「入唐副使從五位上中臣朝臣名代等、率唐人三人波斯人一人拜朝」。
  6. ^ 中村元 編『日本の名著 2 聖徳太子』中央公論社、1970年、464頁。 
  7. ^ 林邑楽(りんゆうがく)とは”. コトバンク. 2019年5月30日閲覧。
  8. ^ “「林邑楽」1300年ぶりの“里帰り”  春日大社の雅楽団がベトナム初公演”. 産経新聞. (2014年3月22日). http://www.sankei.com/west/news/140322/wst1403220033-n1.html 
  9. ^ 熊山遺跡の考察」(PDF)『会報熊山の石ふみ』第17号、熊山遺跡群調査・研究会、2014年7月。 [要ページ番号]
  10. ^ 『五代帝王物語』亀山院「(文永)同六年蒙古使高麗の舟にのりて又對馬國に着く。去年の返牒なきによりて。左右きかんため也。不慮の喧嘩いできて。歸國の間。對馬の二人とられて高麗へ渡る。高麗より蒙古へつかはしたれば。王宮へ召入て見て。種々の祿をとらせて。本朝へ返送。是に付て又牒状有。」(塙保己一編『群書類従』第三輯 帝王部 巻第三十七 続群書類従完成会 1960年 449頁)
  11. ^ 『高麗史』46巻参照。"王引見勞之對曰: "戊辰年受命發船至日本留一年今日至貴國得見殿下頓忘行役之勞.""
  12. ^ ウィキソース出典 南浦文之鉄炮記』。ウィキソースより閲覧。 
  13. ^ 岸野久「エスカランテ報告の日本情報-フレイタスとディエスの琉球・日本情報」『西洋人の日本発見』吉川弘文館、1989年所収。
    岸野久「第二章 エスカランテ報告の日本情報-フレイタスとディエスの琉球・日本情報」『キリシタン開教期の研究』 立教大学〈博士 (文学) 乙第171号〉、2000年。doi:10.11501/3170226NAID 500000191104https://doi.org/10.11501/3170226 
  14. ^ 浅香武和「ペロ・ディエスの九州見聞記について」京都セルバンテス懇話会編『イスパニア図書』第2号、1999年参照。
  15. ^ 藤田みどり(Japanese)『アフリカ「発見」日本におけるアフリカ像の変遷 [Discover Africa―History of African image in Japan (World History series)]』岩波書店、2005年、1-2頁。ISBN 978-4000268530 
  16. ^ オルガンティーノ おるがんてぃーの Gnecchi-Soldo Organtino(1530/33―1609)”. 日本大百科全書. 小学館. 2018年10月13日閲覧。
  17. ^ a b 森良和「「ディルク・シナ」と日本」『論叢:玉川大学教育学部紀要』第2012巻、玉川大学、2013年3月、103-119頁、CRID 1050003824837535872hdl:11078/75ISSN 1348-3331NAID 120006868298 
  18. ^ Monumenta Nipponica. Jōchi Daigaku. Sophia University. (2004). p. 465. https://books.google.co.jp/books?id=wAdDAAAAYAAJ&q=It+has+come+to+our+attention+that+Portuguese,+Siamese,+and+Cambodians+who+come+to+our+shores+to+trade+are+buying+many+people,+taking+them+captive+to+their+kingdoms,+ripping+Japanese+away+from+their+homeland,+families,+children+and+friends.+This+is+insufferable.+Thus,+would+the+Padre+ensure+that+all+those+Japanese+who+have+up+until+now+been+sold+in+India+and+other+distant+places+be+returned+again+to+Japan.+If+this+is+not+possible,+because+they+are+far+away+in+remote+kingdoms,+then+at+least+have+the+Portuguese+set+free+the+people+whom+they+have+bought+recently.+I+will+provide+the+money+necessary+to+do+this.&dq=It+has+come+to+our+attention+that+Portuguese,+Siamese,+and+Cambodians+who+come+to+our+shores+to+trade+are+buying+many+people,+taking+them+captive+to+their+kingdoms,+ripping+Japanese+away+from+their+homeland,+families,+children+and+friends.+This+is+insufferable.+Thus,+would+the+Padre+ensure+that+all+those+Japanese+who+have+up+until+now+been+sold+in+India+and+other+distant+places+be+returned+again+to+Japan.+If+this+is+not+possible,+because+they+are+far+away+in+remote+kingdoms,+then+at+least+have+the+Portuguese+set+free+the+people+whom+they+have+bought+recently.+I+will+provide+the+money+necessary+to+do+this.&hl=en&sa=X&ei=Z3cVU_IElIuQB_2RgNAC&redir_esc=y 
  19. ^ 出島復元記念講演会 @オランダ王国大使館出島ルーム”. オランダ友好協会. 2018年10月20日閲覧。
  20. ^ 平野耿「鎖国が生んだ日系ドイツ人-ペーター・ハルツィング」『東洋大学会報』第225号、2005年11月、 オリジナルの2013年8月27日時点におけるアーカイブ。 
  21. ^ Willem Otterspeer (2003). Leiden Oriental Connections: 1850-1940. BRILL. p. 355. https://books.google.co.jp/books?id=dUv3dF7aDycC&pg=PA355&dq=francois+caron&lr=&sig=9B0wimfu0tFScUNrfqkkxzp1YGc&redir_esc=y&hl=ja 
  22. ^ オランダ友好協会 出島復元記念講演会 @オランダ王国大使館出島ルーム”. 2018年10月20日閲覧。
  23. ^ Vie et martyr de saint Guillaume Courtet Saint Guillaume Courtet Vie et martyr”. Saint Guillaume Courtet. 2018年10月20日閲覧。
  24. ^ 深まる両国の絆 -日スウェーデン外交関係樹立150周年”. 外務省. 2018年10月20日閲覧。
  25. ^ * 延岡繁「日本に初めて来たスウェーデン人フレデリック・コイエットの人生 (1) - (原作) グンナル・ムレーン」『人文学部研究論集』第5巻、中部大学人文学部、2001年1月、127-204頁、CRID 1050001338549226624ISSN 1344-6037 
  26. ^ “日本のアイルランド・コミュニティーの313年”. アイリッシュ・ネットワーク・ジャパン. (2012年5月1日). https://www.inj.or.jp/archives/14 2019年6月9日閲覧。 
  27. ^ コラー・スサンネ「安永年間のロシア人蝦夷地渡来の歴史的背景」『スラヴ研究』第51巻、北海道大学スラブ研究センター、2004年、391-413頁、CRID 1050001339001053056hdl:2115/39064ISSN 0562-6579 
  28. ^ 天皇皇后両陛下 ポーランド・ハンガリーご訪問(チェコ・オーストリアお立ち寄り)時のおことば・ご感想”. 宮内庁. 2019年5月30日閲覧。
  29. ^ 渡辺京二『黒船前夜 ロシア・アイヌ・日本の三国志』洋泉社、2010年。ISBN 9784862485069 [要ページ番号]
  30. ^ アフリカの日本、日本のアフリカ 第2章 日本に渡ったアフリカ人”. 国立国会図書館. 2019年10月21日閲覧。
  31. ^ Arthur Walworth (1946). Black ships off Japan; the story of Commodore Perry's expedition. Alfred A. Knopf [要ページ番号]
  32. ^ 日本・スイス国交樹立150 周年記念 「日本とスイスの150年-そして?」”. 在スイス日本国大使館. 2018年10月20日閲覧。
  33. ^ エドゥアルド・スエンソン著・長島要一訳『江戸幕末滞在記』講談社 2003年、ISBN 978-4061596252

関連項目

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