八上村 (鳥取県)
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(曳田村から転送)
やかみそん 八上村 | |
---|---|
廃止日 | 1955年3月28日 |
廃止理由 |
新設合併 国英村、河原町(初代)、八上村、西郷村、散岐村 → 河原町 |
現在の自治体 | 鳥取市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 八頭郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 5.4 km2 |
総人口 |
1,180人 ([1]、1955年) |
隣接自治体 | 鳥取市、河原町(初代)、国英村、西郷村、散岐村 |
八上村役場 | |
所在地 | 鳥取県八頭郡八上村大字曳田 |
座標 | 北緯35度23分24秒 東経134度11分39秒 / 北緯35.39011度 東経134.19411度座標: 北緯35度23分24秒 東経134度11分39秒 / 北緯35.39011度 東経134.19411度 |
特記事項 | 座標は現在の八上地区公民館位置 |
ウィキプロジェクト |
八上村(やかみそん)は、鳥取県八頭郡にあった自治体である。当初は曳田村(ひけたそん)と称した。1896年(明治29年)3月31日までは八上郡に属した。
概要
[編集]現在の鳥取市河原町曳田・河原町天神原に相当する。千代川中流左岸に位置し、村域の南側を支流の曳田川が流れる。
八上の名は古事記神話の因幡の白兎に登場する売沼神社(めぬまじんじゃ)の祭神、八上比売にちなむとされる。また「ヤ」が土地、「カミ」が上流(または神)を表し、すなわち河川の上流域を意味するとも言われる[1][2]。
曳田の名は曳が「ヒク」「ヒケ」で低湿地、すなわち曳田谷の低湿地とされる。平安時代には八上郡十二郷の1つである曳田郷の名が見え、曳田川流域一帯を郷域としていた[2]。
藩政時代には鳥取藩領の八上郡曳田郷(ひけたのごう)に属する曳田村・天神原村があった[3]。
沿革
[編集]- 1881年(明治14年)9月12日 - 鳥取県再置。
- 1883年(明治16年)3月 - 連合戸長役場を曳田村に設置。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、曳田村と天神原村が合併して村制施行し、八上郡曳田村が発足。旧村名を継承した2大字を編成。五総村および明治村との組合役場を五総村大字中井村に設置[3][4][5]。
- 1893年(明治26年)3月1日[4]、または4月20日[6] - 曳田村が組合村を離脱。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、八上郡・八東郡・智頭郡の区域をもって八頭郡が発足し、八頭郡曳田村となる。
- 1911年(明治44年)9月1日 - 曳田村が改称して八上村となる[7]。
- 1915年(大正4年)1月1日 - 「八上村大字◯◯村」から大字の「村」を削除し、「八上村大字◯◯」と改称[8]。
- 1955年(昭和30年)3月28日 - 国英村、河原町(初代)、西郷村、散岐村と合併し、改めて河原町(2代)が発足。同日八上村廃止[9]。
行政
[編集]戸長
[編集]歴代村長
[編集]氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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市村国蔵 | 1894年(明治27年)1月 | 1902年(明治35年)2月 | |
田淵兵太郎 | 1902年(明治35年)2月 | 1902年(明治35年)12月 | |
鳥越庄太郎 | 1903年(明治36年)1月 | 1907年(明治40年)1月 | |
倉信辰太郎 | 1907年(明治40年)1月 | 1911年(明治44年)1月 | |
田村乕蔵 | 1911年(明治44年)2月 | 1912年(明治45年)3月 | |
倉信藤蔵 | 1912年(明治45年)4月 | 1913年(大正2年)1月 | |
田村乕蔵 | 1913年(大正2年)1月 | 1919年(大正8年)10月 | |
田村縫之輔 | 1919年(大正8年)12月 | 1922年(大正11年)1月 | |
田村松蔵 | 1922年(大正11年)3月 | 1929年(昭和4年)12月 | |
倉信辰太郎 | 1930年(昭和5年)1月 | 1930年(昭和5年)8月 | |
倉信一雄 | 1930年(昭和5年)8月 | 1932年(昭和7年)9月 | |
松田定吉 | 1932年(昭和7年)9月 | 1939年(昭和14年)8月 | |
倉信隆蔵 | 1939年(昭和14年)8月 | 1940年(昭和15年)3月 | |
倉信一雄 | 1940年(昭和15年)3月 | 1940年(昭和15年)5月 | |
西尾駒蔵 | 1940年(昭和15年)9月 | 1943年(昭和18年)5月 | |
田淵盈宇 | 1943年(昭和18年)5月 | 1946年(昭和21年)11月 | |
倉信隆蔵 | 1947年(昭和22年)4月 | 1949年(昭和24年)4月 | |
鳥越政憲 | 1949年(昭和24年)5月 | 1955年(昭和30年)3月27日 | |
参考文献 - [3][6] |
教育
[編集]- 八上村立八上小学校:現在は統合により鳥取市立河原第一小学校。
- 組合立八上中学校:八上村・散岐村・西郷村の組合立として大字曳田に創設。現在は統合により鳥取市立河原中学校[3]。
脚注
[編集]- ^ a b 角川日本地名大辞典 鳥取県「八上村(近代)」
- ^ a b 鳥取県の地名由来語源参考 : 平成の地名(森納、2009年)
- ^ a b c d e f 河原町誌(河原町誌編集委員会、1986年)
- ^ a b 鳥取県町村合併誌(鳥取県、1964年)
- ^ 鳥取県改正市町村名及役場区域 明治22年10月改正(横山敬次郎、1889年)
- ^ a b 初稿八頭郡誌(八頭郡郷土文化研究会郡誌編集専門委員、1982年)
- ^ 「村名改称」『官報』1911年9月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「大字名改称」『官報』1914年11月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鳥取県告示第135号・市町村の廃置分合」『鳥取県公報 号外第29号』1955年3月25日(鳥取県立公文書館)
- ^ 鳥取県職員録 明治22年9月調(鳥取県、1889年)
- ^ 府県管轄区域郡区町村名集覧(樋口文治郎、1888年)