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旭村 (愛知県碧海郡)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
あさひむら
旭村
1917年の旭村
1917年の旭村
廃止日 1948年4月5日
廃止理由 新規合併
現在の自治体 碧南市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
碧海郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 7,230
(1947年10月1日)
旭村役場
所在地 愛知県碧海郡旭村
座標 北緯34度53分06秒 東経137度00分35秒 / 北緯34.88503度 東経137.00986度 / 34.88503; 137.00986 (旭村)座標: 北緯34度53分06秒 東経137度00分35秒 / 北緯34.88503度 東経137.00986度 / 34.88503; 137.00986 (旭村)
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旭村(あさひむら)は、かつて愛知県碧海郡にあったである。

現在の碧南市の東部に該当し、矢作川の下流西岸に位置する。

沿革

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行政

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  • 明治の大合併では、当初、大浜村北大浜村棚尾村、鷲塚村、志貴崎村、伏見屋村が合併して「新浜町」として町制施行する計画であったという。しかし、鷲塚村、志貴崎村、伏見屋村は反対して3村で合併し、旭村となったことにより計画は幻となった。反対理由として、3村は主に農業で発展しており、他の町村とは産業などに違いがあることが挙げられる[1]
  • 昭和の大合併でも、大浜町、新川町、棚尾町は合併賛成であったが、旭村のみ保留の立場をとっている。合併への参加の賛否は1947年2月の住民投票で決定することになり、賛成610票、反対458票で賛成が過半数に達したため、正式に合併に参加となり、碧南市が誕生となった[1]

経済

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産業

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農業

『大日本篤農家名鑑』によれば、旭村の篤農家は石原、片山、山田、小林、伊藤、多田、杉浦、市川などがいた[2]

『大日本蚕業家名鑑 正』によれば、旭村の養蚕家は近藤、大岡、木村、鈴木、富田、河原、石原、服部、大村、河隈、山田、杉浦、竹内、黒田、榊原、伊藤、山田、山林、石橋、松本、宮地、高橋、小笠原、辻、石川、磯貝、竹中、金原、鈴木、牧野、磯見などがいた[3]

教育

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小学校

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中学校

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交通

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神社・仏閣

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  • 天満神社(鷲塚)
  • 天満社(神有)
  • 神明社(荒子)
  • 稲荷神社(伏見屋)
  • 霞浦神社(平七)
  • 稲荷神社(前浜)
  • 願随寺(鷲塚)
  • 遍照院(鷲塚)
  • 池端蓮成寺(鷲塚)
  • 川端蓮成寺(鷲塚)
  • 応春寺(神有)
  • 照光寺(神有)
  • 等覚寺(荒子)
  • 貞照院(伏見屋)
  • 東正寺(平七)
  • 平等寺(前浜)

出身・ゆかりのある人物

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脚注

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  1. ^ a b 『広報へきなん』2016年2月15日号、7ページ
  2. ^ 『大日本篤農家名鑑』235頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年3月9日閲覧。
  3. ^ 『大日本蚕業家名鑑 正』大日本蚕業家名鑑(養蚕家)愛知県149 - 150頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年6月18日閲覧。
  4. ^ 海線の一部区間(碧南 - 吉良吉田)廃止により、2004年廃止。
  5. ^ 『日本紳士録 第47版』東京アの部15頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月4日閲覧。
  6. ^ a b c 『三河知名人士録』291、298頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月4日閲覧。

参考文献

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  • 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
  • 扶桑社編『大日本蚕業家名鑑 正』扶桑社、1913 - 1917年。
  • 久米康裕編『三河知名人士録』尾三郷土史料調査会、1939年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第47版』交詢社、1944年。

関連項目

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外部リンク

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