日本橋野村ビルディング
日本橋野村ビルディング | |
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旧館 | |
情報 | |
用途 | オフィス |
設計者 | 安井武雄 |
施工 | 大林組 |
構造形式 | 鉄骨鉄筋コンクリート構造 |
敷地面積 | 1,101.81 m² |
延床面積 | 7,882.78 m² |
高さ | 地盤面より6階パラペット上端まで81.2尺、同7階まで91.8尺、方形屋根軒高93.8尺、エレベーター機械室上端まで103.5尺 |
着工 | 1928年(昭和3年)6月8日 |
竣工 | 1930年(昭和5年)3月15日 |
改築 | 本館(1959年)、別館(1981年) |
所在地 | 東京都中央区日本橋一丁目9番1号 |
座標 | 北緯35度41分1.5秒 東経139度46分32.2秒 / 北緯35.683750度 東経139.775611度 |
日本橋野村ビルディング(にほんばしのむらビルディング)は、東京都中央区日本橋一丁目に所在する建築物である。
旧野村財閥(野村コンツエルン)が大阪から東京に進出する拠点として計画され、ビルの所有者は、旧財閥の不動産等資産を管理にあたる野村殖産であり、野村ホールディングスや野村證券の所有するビルではない。
概要
[編集]旧野村財閥の中核として大阪に本店を置いた野村銀行(現在のりそな銀行の前身)の東京進出における拠点として計画され、1930年3月15日に竣工した。
終戦後の1946年11月3日、建物は占領軍に接収され、米軍やその家族の宿泊ホテル「リバービューホテル」として[1]、1952年10月20日の接収解除まで供され[2]、1959年に本館、1981年には別館が増築され、野村證券が本社を置いた。
2012年には、DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選ばれた。
再開発のため改修
[編集]日本橋野村ビルディングは、日本橋川沿いに建つ軍艦ビルとして知られ、旧館・本館・別館から構成されていたが[1]、一角は三井不動産と野村不動産が組合員として参加する「日本橋一丁目中地区再開発事業」の推進に伴い、本館・別館は解体された。他方、安井武雄が設計した旧館は外観が保存され、4階建ての複合施設(店舗・業務施設)に改装される[3]。再開発ではほかに、52階建て・高さ284mの高層棟(ホテル・オフィス等)、7階建ての住宅、商業施設も建てられ、全体竣工は2026年3月末を予定[3][4]。
旧館
[編集]竣工当初の規模構造はそれぞれ、鉄骨鉄筋コンクリート構造の地上7階、地下2階建てで、敷地面積は334.880坪、建築面積は302.008坪、延床面積は2,384.551坪。設計は安井武雄。施工は大林組。
野村コンツエルンの東京進出の拠点として建てらるものであり、また日本橋のたもとという最も目立つ場所であることから、東京に数あるビルの亜流であってならないという意気込みのもと、独自のオフィスビルの定型を創出しようとする意欲が見られる建物となった[5]。足元と頭を軽く中間を重くし、動的均整(ダイナミック・シンメトリー)と言われる設計手法が外観デザインの基本に据えられている[5]。
出典
[編集]- ^ a b 千葉明 (2020年2月29日). “野村證券と「野村軍艦ビル」が迎える曲がり角と今後の行方”. 財経新聞. 2023年6月18日閲覧。
- ^ 『野村建設工業三十年史』 15頁
- ^ a b “「日本橋一丁目中地区第一種市街地再開発事業」着工”. 三井不動産 野村不動産 (2021年12月7日). 2023年6月18日閲覧。
- ^ “三井不動産、日本橋にヒルトン最上級ホテル 2026年「ウォルドーフ・アストリア」”. 日本経済新聞 (2020年10月27日). 2023年6月18日閲覧。
- ^ a b 日本橋野村ビル - 安井建築設計事務所
参考文献
[編集]- 建築学会、昭和5年(1930年)7月 『建築雑誌 第四四輯 第五三五號』
- 野村建設工業株式会社社史編纂委員会『野村建設工業三十年史』 野村建設工業株式会社、1976年11月。
外部リンク
[編集]- 日本橋野村ビル - 野村殖産