日本橋御幸ビル
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日本橋御幸ビル | |
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情報 | |
旧名称 | 日本橋東海ビル |
用途 | オフィス、銀行 |
設計者 | 日建設計 |
施工 |
竹中工務店 大林組 戸田建設 |
建築主 |
東海銀行 新東昭開発 |
管理運営 | 御幸ビルディング |
構造形式 | 鉄骨鉄筋コンクリート構造 |
敷地面積 | 1,464.17 m² [1] |
延床面積 | 14,018.68 m² [1] |
状態 | 解体 |
階数 | 地下3階・地上10階[1] |
エレベーター数 | 乗用4基 |
駐車台数 | 36台 |
竣工 | 1975年 |
解体 | 2020年11月 |
所在地 |
〒103-0027 東京都中央区日本橋一丁目7番17号 |
座標 | 北緯35度41分0.2秒 東経139度46分30.2秒 / 北緯35.683389度 東経139.775056度座標: 北緯35度41分0.2秒 東経139度46分30.2秒 / 北緯35.683389度 東経139.775056度 |
日本橋御幸ビル(にほんばしみゆきビル)は、東京都中央区日本橋一丁目に所在した建築物である。
建築と歴史
[編集]1975年(昭和50年)、東海銀行と同行の系列の新東昭開発[2]により、日本橋東海ビルの名称で竣工。煉瓦色の外壁と、三角形に近い敷地であることから中央通りに面した側の鋭角な外観が特徴的で、1976年には日本建設業連合会主催の第17回BCS賞を受賞した[3]。のちに三菱HCキャピタルグループの株式会社御幸ビルディングに所有権が移り、日本橋御幸ビルに名称変更した(時期不詳)。その後も、東海銀行の後身行である三菱UFJ銀行が日本橋中央支店を置いていた[4]。
北側は日本橋野村ビルディング、南側は日本橋西川ビルに隣接する。この地には本ビル建築以前には、京都出身の村井吉兵衛が設立した村井銀行の社屋(1913年竣工、設計・吉武長一)があった。本ビル北東側には、村井銀行社屋の出入口が残されていた[5]。
本ビルを含む、東西を昭和通りと中央通り、南北を日本橋一丁目三井ビルディング(コレド日本橋)と日本橋川に囲まれた約3.0haは日本橋一丁目中地区市街地再開発として、高さ287mの超高層建築物の建設を含む再開発事業が行われることとなり[6]、2020年11月より日本橋西川ビルや東側の中小規模のビルとともに解体が始められた[7]。街区のうち、本ビルが所在していた位置は地上広場となる計画である[8]。
脚注
[編集]- ^ a b c “日本橋御幸ビル”. 御幸ビルディング. 2017年10月19日閲覧。
- ^ “会社概要”. 新東昭不動産. 2017年10月20日閲覧。
- ^ “第17回BCS賞受賞作品(1976年)日本橋東海ビル”. 日本建設業連合会. 2017年10月20日閲覧。
- ^ “日本橋中央支店”. 三菱UFJ銀行. 2018年4月8日閲覧。
- ^ “中央区 ここに歴史あり(55)煙草王・村井吉兵衛~日本橋に旧村井銀行の遺構”. 中央区観光協会特派員ブログ (2013年8月10日). 2017年10月20日閲覧。
- ^ “日本橋一丁目中地区市街地再開発事業”. 東京都都市整備局 (2020年9月30日). 2020年12月17日閲覧。
- ^ “清水で11月既存解体/延べ約37万平米、25年度完成/日本橋一丁目中地区再開発”. 建設通信新聞. (2020年10月13日) 2020年12月17日閲覧。
- ^ “都市再生特別地区(日本橋一丁目中地区)都市計画(素案)の概要” (PDF). 三井不動産・野村不動産. 2020年12月17日閲覧。