吉武長一
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吉武 長一(よしたけ ちょういち、1879年(明治12年)8月7日 - 1953年(昭和28年))は、日本の建築家。旧村井銀行本支店や教会建築などの作品で知られる。
経歴
[編集]山口県佐波郡牟礼村(現・防府市)生まれ。アメリカに渡り、ペンシルバニア・テクニカルカレッジで建築を学んだ[1]。1909年(明治42年)4月に帰国し、海軍省嘱託。翌年、村井銀行建築部長となる。1913年(大正2年)に独立し、吉武建築事務所を開設[2]。
村井銀行やメソジスト系の教会建築などを多く手掛けている。「村井家のお抱え建築家的存在」[3]とも言われる。
1915年には帝国ホテルの新築計画に関わっており、F.L.ライトが送ってきた設計図を検討し、12月に支配人の林愛作がアメリカに出張する際も同行している[4]。
また、田園調布の駅前広場を設計したとされ[5]、自宅も田園調布にあった。
代表作品
[編集]- 銀座教会(東京銀座、1912)- 関東大震災で焼失。
- 村井銀行本店(東京日本橋、1913)- 1970年代に取壊し。跡地の日本橋御幸ビルに円柱、ペディメントなどの部材が保存されていた。
- 村井銀行七条支店(1914)- 現・きょうと和み館SECONDHOUSE西洞院店
- 村井邸洋館(東京永田町、1916)- 後に移築し、日仏会館になった。現存しない。
- 安藤記念教会(東京元麻布、1917)- 大谷石とステンドグラスが特徴的。東京都選定歴史的建造物。
- 村井銀行神戸支店(1920)- 後に日産ビル、1991年の阪神・淡路大震災で被災し、取壊し。
- 村井銀行祇園支店(1924)- 現・キャンディ・ショータイム(CANDY SHOW TIME)
- 村井銀行五条支店(1924)- 現・京都中央信用金庫東五条支店
- ハリス記念鎌倉メソジスト教会(1926)- 現・日本基督教団鎌倉聖ミカエル教会聖堂[3]
- 田園調布駅前広場
論述
[編集]- 桑港に於けるコンクリート建築構造(建築雑誌256号、1908.4)- サンフランシスコから日本の建築雑誌に寄稿したもの。サンフランシスコ地震(1906年)の後、(10階建以下では)鉄骨造より鉄筋コンクリート造のビルディングが増えてきたと報告している。
脚注
[編集]- ^ 港区ゆかりの人物データベース(安藤記念教会)[1]
- ^ 『山口県人物史』(1935年)p216。
- ^ 国指定文化財等データベース(旧村井銀行祇園支店)[2]
- ^ 『建築世界』1916年1月号の「新築される帝国ホテル」は、林夫妻と吉武技師が帝国ホテル新築計画のためアメリカに出発したことを報じている。同記事によれば、ライトは数年前に来日して帝国ホテルに滞在し、帰国後に設計図をまとめて日本に送ってきた。なお、吉武が関与したのは、村井吉兵衛が帝国ホテルの大株主だった関係だという(谷川正己『日本の建築 明治大正昭和9 ライトの遺産』pp116-119)。
- ^ 東京建築探偵団『建築探偵術入門』(文春文庫、1986年)p216。「都市景観の日」実行委員会編、都市づくりパブリックデザインセンター監修『日本の都市景観100選』(建築資料研究社、2001年)p72。