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新居見町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 徳島県 > 小松島市 > 新居見町
新居見町
新居見町の位置(徳島県内)
新居見町
新居見町
新居見町の位置
北緯33度59分45秒 東経134度34分01秒 / 北緯33.99583度 東経134.56694度 / 33.99583; 134.56694
日本の旗 日本
都道府県 徳島県の旗 徳島県
市町村 小松島市
地区 小松島地区
人口
2022年(令和4年)7月31日現在)[1]
 • 合計 337人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
773-0011[2]
市外局番 0885[3]
ナンバープレート 徳島

新居見町(にいみちょう)は、徳島県小松島市町名郵便番号は773-0011。

地理

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小松島市の北西部に位置する。新居見山地の北麓に位置し、北は東流する芝生川によって、田浦町芝生町と相対している。

主として南部の山麓に農村集落が発達し、北部は芝生川に沿って湿田地帯が展開していたが、昭和53年度より、団体営新居見地区圃場整備事業により約20haに及ぶ地上げ工事を行い、昭和57年度に完了した。

新居見町は純農村で米作を主としながら、イチゴ等の施設園芸や酪農も行われている。

河川

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小字

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  • 蛭子
  • 片石
  • 高内
  • 月待
  • 西川
  • 狭間
  • 東山下
  • 柳内
  • 山路
  • 柚木
  • 義方
  • 蓮花寺

歴史

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南部の芝生山に新居見城が築かれ、治承・寿永の乱の時期には近藤六親家の居城であった。源義経が小松島へ上陸したとき、伊勢義盛の説得に応じて、近藤六親家は義経の軍に加わり屋島へ先導した。

新居見村

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新居見村は江戸期から明治22年にかけて勝浦郡に存在した村。江戸期は新居之見村とも称した。徳島藩領。

江戸期の小松島地方は御止野とされており、毎年春・秋には藩主や重臣の鷹狩りが行われた。特に、当村と日開野村の川辺にはが繁茂していて、鳥類が多く、御召野と称されて、一般の人々の狩猟は厳禁されていた。

明治4年に徳島県、同年に名東県、明治9年に高知県を経て明治13年に再び徳島県に所属。

新居見

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新居見は明治22年から昭和32年にかけて存在した大字名。はじめ小松島村、明治40年より小松島町、昭和26年からは小松島市の大字となる。

稲作を主体とした農業地域で、昭和初期から山林を開いて、温州ミカンの栽培が行われ、また副業としてはなど藁加工品の生産が大正期から昭和20年頃まで行われていた。第二次世界大戦後、肉用牛の飼育が盛んになり、野菜・イチゴの栽培も行われるようになった。

新居見町

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昭和32年より現在の町名となる。昭和57年の耕作反別は田33.3ha、畑2ha、果樹園9a、筍10aで、米・温州ミカン・筍のほかに肉用牛の飼育が行われ、複合的な農業が営まれている。

世帯数と人口

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2022年(令和4年)7月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

町丁 世帯数 人口
新居見町 142世帯 337人

小・中学校の学区

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市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[4]

番地 小学校 中学校
全域 小松島市立児安小学校 小松島市立小松島中学校

脚注

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  1. ^ a b 市の人口”. 小松島市 (2021年7月31日). 2022年8月19日閲覧。
  2. ^ 郵便番号”. 日本郵便. 2022年8月19日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2022年8月19日閲覧。
  4. ^ 小松島市小学校及び中学校の児童及び生徒の就学に関する学区制についての規則”. 小松島市. 2022年8月19日閲覧。

参考文献

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外部リンク

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