新居見町
新居見町 | |
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北緯33度59分45秒 東経134度34分01秒 / 北緯33.99583度 東経134.56694度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 徳島県 |
市町村 | 小松島市 |
地区 | 小松島地区 |
人口 | |
• 合計 | 337人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
773-0011[2] |
市外局番 | 0885[3] |
ナンバープレート | 徳島 |
新居見町(にいみちょう)は、徳島県小松島市の町名。郵便番号は773-0011。
地理
[編集]小松島市の北西部に位置する。新居見山地の北麓に位置し、北は東流する芝生川によって、田浦町・芝生町と相対している。
主として南部の山麓に農村集落が発達し、北部は芝生川に沿って湿田地帯が展開していたが、昭和53年度より、団体営新居見地区圃場整備事業により約20haに及ぶ地上げ工事を行い、昭和57年度に完了した。
新居見町は純農村で米作を主としながら、イチゴ等の施設園芸や酪農も行われている。
河川
[編集]小字
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歴史
[編集]南部の芝生山に新居見城が築かれ、治承・寿永の乱の時期には近藤六親家の居城であった。源義経が小松島へ上陸したとき、伊勢義盛の説得に応じて、近藤六親家は義経の軍に加わり屋島へ先導した。
新居見村
[編集]新居見村は江戸期から明治22年にかけて勝浦郡に存在した村。江戸期は新居之見村とも称した。徳島藩領。
江戸期の小松島地方は御止野とされており、毎年春・秋には藩主や重臣の鷹狩りが行われた。特に、当村と日開野村の川辺には茅が繁茂していて、鳥類が多く、御召野と称されて、一般の人々の狩猟は厳禁されていた。
明治4年に徳島県、同年に名東県、明治9年に高知県を経て明治13年に再び徳島県に所属。
新居見
[編集]新居見は明治22年から昭和32年にかけて存在した大字名。はじめ小松島村、明治40年より小松島町、昭和26年からは小松島市の大字となる。
稲作を主体とした農業地域で、昭和初期から山林を開いて、温州ミカンの栽培が行われ、また副業としては莚・叺など藁加工品の生産が大正期から昭和20年頃まで行われていた。第二次世界大戦後、肉用牛の飼育が盛んになり、野菜・イチゴの栽培も行われるようになった。
新居見町
[編集]昭和32年より現在の町名となる。昭和57年の耕作反別は田33.3ha、畑2ha、果樹園9a、筍10aで、米・温州ミカン・筍のほかに肉用牛の飼育が行われ、複合的な農業が営まれている。
世帯数と人口
[編集]2022年(令和4年)7月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
新居見町 | 142世帯 | 337人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[4]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
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全域 | 小松島市立児安小学校 | 小松島市立小松島中学校 |
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『角川日本地名大辞典 36 徳島県』(1986年 ISBN 4040013603)