新上五島町立東浦小学校
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新上五島町立東浦小学校 | |
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北緯32度57分58秒 東経129度06分04秒 / 北緯32.966083度 東経129.101111度座標: 北緯32度57分58秒 東経129度06分04秒 / 北緯32.966083度 東経129.101111度 | |
過去の名称 |
東浦尋常小学校 東浦尋常高等小学校 有川町東浦国民学校 有川町立東浦小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 新上五島町 |
併合学校 |
鯛之浦尋常小学校 七目尋常小学校 新上五島町立神之浦小学校 |
設立年月日 |
1874年(明治7年)5月 (鯛之浦尋常小学校) |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B142210002320 |
所在地 | 〒853-3322 |
長崎県南松浦郡新上五島町阿瀬津郷422番1号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
新上五島町立東浦小学校(しんかみごとうちょうりつ ひがしうらしょうがっこう)は長崎県南松浦郡新上五島町阿瀬津郷にある公立小学校。略称「東小」(ひがししょう)。五島列島の中通島に位置している。
概要
[編集]- 歴史
- 1874年(明治7年)創立の鯛之浦尋常小学校と1875年(明治8年)創立の七目尋常小学校が1912年(明治45年)に統合され「東浦尋常小学校」となった。2014年(平成26年)に創立140周年を迎えた。
- 校区
- 住所表記で「長崎県南松浦郡新上五島町」のうち有川地区(七目、中野、奥浦、阿瀬津、鯛ノ浦、東神ノ浦、船隠、佐野原)。
- 中学校区は新上五島町立有川中学校。
- 学校教育目標
- 「学びの道につとめいそしみ、花の心と伸びる体をもつ子どもの育成」
- 校歌
- 1952年(昭和27年)に制定。
沿革
[編集]- 前史(鯛之浦尋常小学校)
- 1874年(明治7年)5月1日 - 「第五大学区第五中学区太田小学校 鯛之浦分校」として創立。
- 1878年(明治11年)4月 - 太田小学校が有川小学校の分校になったことにより、「有川学区公立有川小学校 鯛之浦分校」となる。
- 1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により、有川小学校から分離し「簡易鯛之浦小学校」として独立。修業年限を3年とする。
- 阿瀬津分校を阿瀬津分舎とする。
- 1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、有川村立の小学校となる。
- 1893年(明治26年)5月 - 「鯛之浦尋常小学校」に改称。修業年限を4年とする。
- 1901年(明治34年)4月1日 - 阿瀬津分舎を阿瀬津分教場とする。
- 1907年(明治40年)4月1日 - 小学校令の改正により修業年限が4年から6年に延長されたことにより、尋常科5年を新設。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 尋常科6年を新設。
- 1910年(明治43年)3月 - 裁縫科を設置。
- 前史(七目尋常小学校)
- 1875年(明治8年)2月1日 - 「第五大学区第五中学区有川小学校七目分校」が創立。
- 1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により、有川小学校から分離し「簡易七目小学校」として独立。修業年限を3年とする。
- 1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、有川村立の小学校となる。
- 1893年(明治26年)5月 - 「七目尋常小学校」となる。修業年限を4年とする。
- 1907年(明治40年)4月1日 - 小学校令の改正により修業年限が4年から6年に延長されたことにより、尋常科5年を新設。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 尋常科6年を新設。
- 1910年(明治43年)3月 - 裁縫科を設置。
- 前史(阿瀬津分校)
- 1975年(明治8年)9月 - 「第五大学区第五中学区太田小学校 阿瀬津分校」が設置される
- 1878年(明治11年)4月 - 太田小学校が有川小学校の分校になったことにより、「有川学区公立有川小学校 阿瀬津分校」となる。
- 1886年(明治19年)9月 - 「簡易鯛之浦小学校 阿瀬津分舎」となる。
- 1893年(明治26年)5月 - 「鯛之浦尋常小学校 阿瀬津分舎」となる。
- 1901年(明治34年)4月1日 - 「鯛之浦尋常小学校 阿瀬津分教場」となる。
- 統合・東浦小学校
- 1912年(明治45年)4月1日 - 鯛之浦尋常小学校と七目尋常小学校の2校が統合され、「東浦尋常小学校」が発足。校長に宮田周馬が就任。
- 新校舎が完成するまでの間、鯛之浦・七目の旧2校および阿瀬津分教場を使用して授業が実施される。
- 1915年(大正4年)4月 - 新校舎が完成。
- 1918年(大正7年)4月1日 - 高等科を併置し、「東浦尋常高等小学校」(尋常科6年・高等科2年)に改称。
- 1919年(大正8年)4月1日 - 高等科に農業科を新設。
- 1922年(大正11年)4月22日 - 校旗を制定。
- 1923年(大正12年)
- 1924年(大正13年)1月22日 - 校舎を増築。
- 1928年(昭和3年)
- 1934年(昭和9年)10月17日 - 有川町の発足により、有川町立の小学校となる。
- 1935年(昭和10年)6月 - 併設の東浦実業補習学校が(有川町立)東浦青年学校に改称。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「有川町東浦国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)
- 1943年(昭和18年)4月 - 併設の東浦青年学校が有川高等実業青年学校に統合される。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 国民学校の初等科が「有川町立東浦小学校」(修業年限6年)に改組される。
- 国民学校の高等科が新制中学校「有川町立東浦中学校」(修業年限3年)に改組され、当面の間小学校に併設される。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 東浦中学校が統合により「有川町立有川中学校 東浦分校」となり、東浦小学校に併設される。
- 1950年(昭和25年)9月1日 - 有川中学校東浦分校の校舎が完成したため、東浦小学校との併設を解消[1]。
- 1952年(昭和27年)3月20日 - 校歌を制定。
- 1958年(昭和33年)- 老朽化した木造校舎を解体。
- 1959年(昭和34年)10月 - 鉄筋コンクリート造2階建ての新校舎が完成。
- 1962年(昭和37年)3月31日 - へき地集会所が完成。
- 1964年(昭和39年)3月20日 - ミルク給食を開始。
- 1972年(昭和47年)8月2日 - 第二運動場が完成。
- 1973年(昭和48年)
- 1975年(昭和50年)1月21日 - 創立100周年記念式典を挙行。
- 1976年(昭和51年)12月15日 - 体育館が完成。
- 1981年(昭和56年)
- 1983年(昭和58年)10月27日 - なかよし橋が架設される。
- 2004年(平成16年)8月1日 - 新上五島町の発足により、「新上五島町立東浦小学校」(現校名)に改称。
- 2009年(平成23年)4月1日 - 新上五島町立神之浦小学校を統合。
周辺
[編集]- 新上五島町立東浦幼稚園
- カトリック鯛之浦教会
- 鯛之浦郵便局
- 九州電力送配電新有川発電所
アクセス
[編集]- 最寄りのバス停
- 西肥自動車(西肥バス)五島営業所「中野」バス停
- 最寄りの国道・県道
- 長崎県道22号有川奈良尾線
参考資料
[編集]- 「有川町郷土誌」(1994年(平成6年)2月20日発行, 有川町郷土誌編集・編纂委員会)p.649-