知床斜里駅
知床斜里駅[* 1] | |
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駅舎(2008年9月) | |
しれとこしゃり Shiretoko-Shari | |
◄B71 中斜里 (4.6 km) (11.5 km) 止別 B73► | |
所在地 | 北海道斜里郡斜里町港町17 |
駅番号 | ○B72 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | ■釧網本線 |
キロ程 | 128.9 km(東釧路起点) |
電報略号 | シヤ[1] |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面3線 |
乗降人員 -統計年度- |
248人/日 -2018年- |
開業年月日 | 1925年(大正14年)11月10日 |
備考 |
直営駅(管理駅) みどりの窓口有 |
斜里駅 | |
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しゃり Shari | |
(4.6 km) 以久科► | |
所在地 | 北海道斜里郡斜里町港町 |
所属事業者 | 日本国有鉄道 |
所属路線 | 根北線 |
キロ程 | 0.0 km(斜里起点) |
駅構造 | 地上駅 |
開業年月日 | 1957年(昭和32年)11月10日 |
廃止年月日 | 1970年(昭和45年)12月1日 |
知床斜里駅(しれとこしゃりえき)は、北海道斜里郡斜里町港町にある北海道旅客鉄道(JR北海道)釧網本線の駅である。駅番号はB72。
事務管理コードは▲111616[2]。かつては根北線が接続していた。
歴史
[編集]- 1925年(大正14年)11月10日:国有鉄道の斜里駅として開業[3]。一般駅。
- 1929年(昭和4年)11月4日:野付牛機関庫斜里分庫設置。
- 1930年(昭和5年)6月1日:斜里機関分庫廃止。
- 1931年(昭和6年)9月20日:野付牛機関庫斜里分庫設置[4]。
- 1932年(昭和7年):殖民軌道斜里線が知布泊(ちぷとまり)駅まで開業。
- 1949年(昭和24年)12月1日:北見機関区斜里支区が釧路機関区斜里支区となる[5]。
- 1951年(昭和26年):殖民軌道斜里線運行停止。
- 1952年(昭和27年)2月:殖民軌道斜里線廃止。
- 1954年(昭和29年)8月14日:網走市から弟子屈町に向かう昭和天皇、香淳皇后のお召し列車が停車。駅前奉迎が行われた[6]。
- 1957年(昭和32年)11月10日:根北線が越川駅まで開業[7]。
- 1963年(昭和38年)4月1日:釧路機関区斜里支区廃止[8]。
- 1969年(昭和44年)2月1日:標茶機関区斜里派出所設置。
- 1970年(昭和45年)
- 1971年(昭和46年)7月16日:駅舎改築[10]。
- 1973年(昭和48年)10月18日:コンテナ基地新設[11]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:貨物・荷物取扱い廃止[12]。標茶機関区斜里支区が釧路機関区所属となる[12]。
- 1986年(昭和61年)11月1日:釧路機関区斜里支区を斜里派出所に変更[13]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[14]。
- 1997年(平成9年):地元観光協会などによる「斜里駅の改称を進める会」結成[15]。
- 1998年(平成10年)4月11日:知床斜里駅に改称[15][新聞 1]。
- 2005年(平成17年)5月31日:キヨスク閉店。その後地元業者による売店を設置。
- 2007年(平成19年)12月:駅舎を増改築し町の観光センターと一体化、また駅前広場を整備[JR北 1]。
駅名の由来
[編集]もともと所在町名から「斜里」の名称であったが、当駅が知床半島観光の玄関口であることから、全国的に知名度が高い「知床」の名を冠して観光客にアピールする狙いから改称した[15][16]。
この改名は観光客・乗降客の減少に危機感を持った地元観光協会などが1997年(平成9年)に「斜里駅の改称を求める会」を結成しJR北海道に要望したことで実現し、改称に伴う経費は地元が負担した[15]。
駅構造
[編集]2面3線の島式ホームと単式ホームのある地上駅。2・3番のりばへは跨線橋(古レール使用[JR北 1])で連絡する。廃止された根北線は3番のりばに発着していた。
駅舎は2007年(平成19年)に従来の駅舎を増改築したもので、正面向かって左側がもともとの鉄筋コンクリート造の駅舎(JR北海道所有)、右側が木造の増築部分(町所有の観光センター)である[JR北 1]。設計は川人洋志が手掛けた[JR北 1]。デザインコンセプトは「『記憶の駅』:旅人の、そして、ここに集う人々の記憶を紡いでいく場所」であり、外構・内装ともにカラマツ集成材が用いられている[JR北 1]。
駅舎内はみどりの窓口のほか、売店・自販機・ロッカーを備え、増築した観光センターには観光案内所のほかトイレ・展示スペースを備えている[JR北 1]。
社員配置駅であり、夜間は営業上での無人駅扱いとなるが、運転扱いの駅員は終日配置され、車両の留置も行われる。管理駅として、緑 - 鱒浦間の各駅を管理下に置いている。
のりば
[編集]番線 | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | ■釧網本線 | 下り | 釧路方面 | |
2 | 上り | 網走・北見方面 | ||
3 | 下り | 釧路方面 | 臨時列車など一部 | |
上り | 網走方面 |
-
待合室
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ホーム(全体)
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ホーム(1番線)
-
ホーム(2・3番線)
-
跨線橋
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駅名標
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旧駅舎(2004年9月)
利用状況
[編集]乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | ||
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年間 | 1日平均 | JR調査 | |||
1978年(昭和53年) | 706 | [17] | |||
1990年(平成 | 2年)(82,500.0) | (226.0) | [15] | 年間乗降人員:16.5万人、千人未満端数不明。 | |
1992年(平成 | 4年)(451.5) | [18] | 一日平均乗降客数:906 | ||
1996年(平成 | 8年)(62,000.0) | (169.9) | [15] | 年間乗降人員:12.4万人、千人未満端数不明。 | |
2016年(平成28年) | 106.8 | [JR北 2] | |||
2017年(平成29年) | 101.6 | [JR北 3] | |||
2018年(平成30年) | 94.4 | [JR北 4] | |||
2019年(令和元年) | 91.8 | [JR北 5] | |||
2020年(令和 | 2年)92.0 | [JR北 6] | |||
2021年(令和 | 3年)94.8 | [JR北 7] | |||
2022年(令和 | 4年)94.8 | [JR北 8] | |||
2023年(令和 | 5年)97.2 | [JR北 9] |
駅周辺
[編集]斜里町の中心駅で、斜里港・オホーツク海に近い。駅前にはバスターミナルとホテルがあり、北海道道沿いを中心に公共施設などが点在する。国道244号・国道334号からはやや距離がある。
- 北海道道92号斜里停車場線、北海道道769号斜里停車場美咲線
- 北海道道802号斜里港線
- 道の駅しゃり
- 斜里町役場
- 斜里警察署
- 斜里郵便局
- しれとこ斜里農業協同組合(JAしれとこ斜里)
- 斜里第一漁業協同組合
- 網走信用金庫斜里支店
- 北洋銀行斜里支店
- 北海道銀行斜里支店
- 斜里町立図書館
- 斜里地区消防組合本部
- 斜里町公民館「ゆめホール知床」
- 斜里町立知床博物館
- 北海道斜里高等学校
- 斜里川
バス路線
[編集]斜里バス(一部他社と共同運行)によりウトロ温泉方面・網走方面路線バス、札幌方面都市間バスが駅前の「斜里バスターミナル」に発着する。
隣の駅
[編集]かつて存在した路線
[編集]- 日本国有鉄道
- 根北線
- 斜里駅 - 以久科駅
撮影・ロケ
[編集]- 映画『男はつらいよ 知床慕情』(1987年公開)の撮影に駅舎が使用された[20]。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 宮脇俊三、原田勝正 著、二見康生 編『北海道630駅』小学館〈JR・私鉄各駅停車〉、1993年6月20日、139頁。ISBN 4-09-395401-1。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、246頁。doi:10.11501/1873236 。2023年4月2日閲覧。
- ^ 『鉄道百年の歩み』 pp. 83 - 84
- ^ 『鉄道省年報. 昭和6年度』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『鉄道百年の歩み』 p. 90
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、111頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ 『鉄道百年の歩み』 p. 94
- ^ 『鉄道百年の歩み』 p. 97
- ^ 『鉄道百年の歩み』 p. 102
- ^ a b 『鉄道百年の歩み』 p. 103
- ^ 『鉄道百年の歩み』 p. 105
- ^ a b 『鉄道百年の歩み』 p. 113
- ^ 『鉄道百年の歩み』 p. 116
- ^ 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、925頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ a b c d e f 「知床の知名度を活用し「知床斜里」に駅名を改称 JR北海道」『総合交通』第25巻第5号、総合交通社、1998年4月、46頁、doi:10.11501/2887848、2023年1月15日閲覧。
- ^ 太田幸夫 (2004-02-29). 北海道の駅 878ものがたり ~駅名のルーツ探求~ (1 ed.). 札幌市: 富士コンテム. p. 130. ISBN 4-89391-549-5
- ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、914頁。doi:10.11501/12065814 。
- ^ 宮脇俊三、原田勝正 著、二見康生 編『北海道630駅』小学館〈JR・私鉄各駅停車〉、1993年6月20日、136頁。ISBN 4-09-395401-1。
- ^ 下り順に記載。路線は中斜里駅方の東釧路駅が起点。
- ^ 『全国映画ドラマロケ地事典』p322 日外アソシエーツ編集(2011年)全国書誌番号:21946393
JR北海道
[編集]- ^ a b c d e f 『知床斜里複合駅舎の建設工事着手について』(PDF)(プレスリリース)JR北海道、2007年5月9日。オリジナルの2007年9月30日時点におけるアーカイブ 。2023年1月15日閲覧。
- ^ 「釧網線(東釧路・網走間)」(PDF)『線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)』、北海道旅客鉄道、2017年12月8日。オリジナルの2017年12月9日時点におけるアーカイブ 。2017年12月10日閲覧。
- ^ 「釧網線(東釧路・網走間)」(PDF)『線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために)』、北海道旅客鉄道株式会社、3頁、2018年7月2日。オリジナルの2018年8月19日時点におけるアーカイブ 。2018年8月19日閲覧。
- ^ “釧網線(東釧路・網走間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。
- ^ “釧網線(東釧路・網走間)” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 輸送密度200人以上2,000人未満の線区(「黄色」8線区). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2020年10月30日). 2020年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月2日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月14日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月3日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2023年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月10日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道 (2024年). 2024年9月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月9日閲覧。
新聞記事
[編集]参考文献
[編集]- グループ169.1『北海道 釧網本線』(1999年)
- 北海道旅客鉄道釧路支社『JR釧路支社 鉄道百年の歩み』(2001年)
- 本久公洋『北海道鉄道駅大図鑑』 北海道新聞社(2008年) ISBN 978-4-89453-464-3
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 知床斜里|駅の情報検索(時刻表・バリアフリー)|鉄道・きっぷ|JR北海道- Hokkaido Railway Company