放生寺 (新宿区)
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(放生会寺から転送)
放生寺 | |
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本堂 | |
所在地 | 東京都新宿区西早稲田二丁目1番14号 |
位置 | 北緯35度42分24.3秒 東経139度43分3.9秒 / 北緯35.706750度 東経139.717750度座標: 北緯35度42分24.3秒 東経139度43分3.9秒 / 北緯35.706750度 東経139.717750度 |
山号 | 光松山[1] |
院号 | 威盛院[1] |
宗旨 | 古義真言宗[1] |
宗派 | 高野山真言宗 |
寺格 | 準別格本山 |
本尊 | 聖観世音菩薩 |
創建年 | 1641年(寛永18年)[1] |
開基 | 良昌上人[1] |
正式名 | 光松山威盛院放生會寺[2] |
札所等 |
江戸三十三観音札所 第15番 御府内八十八箇所 第30番 |
公式サイト | 高野山真言宗 放生寺 |
法人番号 | 1011105000833 |
放生寺(ほうしょうじ[4])は、東京都新宿区西早稲田二丁目にある高野山真言宗準別格本山の寺院である。山号は光松山(こうしょうざん)。本尊は聖観世音菩薩で、江戸三十三観音札所の第15番、御府内八十八箇所の第30番である。
歴史
[編集]1641年(寛永18年)に穴八幡宮(高田八幡)の別当寺として同神社の隣に創建された。寺号が示す通り「放生会」(ほうじょうえ)で知られ、虫封じの利益(りやく)もあるとされる。
境内に成立した町屋が「牛込放生寺門前」と呼ばれるが、1869年(明治2年)、高田馬場に因み「牛込高田町」と改称される(1975年(昭和50年)、戸塚地区の住居表示実施に伴い戸塚町の一部や諏訪町の一部と共に西早稲田となり消滅)。
創建当時は穴八幡の境内に放生池があったが、明治期の神仏分離により池は放生寺の管轄となり、その後1920年代に埋め立てられてしまった。現在は本堂脇の池が放生会に使われる。第二次世界大戦により中断してから再開まで約40年の空白があり、伝統の多くが失われてしまったが、毎年スポーツの日に行われる放生会には多くの参拝客が訪れている。
年中行事
[編集]その他
[編集]穴八幡宮とは元々不可分であったため、神仏習合の江戸時代に始まった「一陽来復」の札の授与は穴八幡と放生寺の双方で行われている。ただし放生寺の札は「一陽来福」と1文字異なるが、観音経偈文の「福聚海無量(ふくじゅかいむりょう)」に因んでいる。
所在地
[編集]交通アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e 新編武蔵風土記稿 下戸塚村.
- ^ 放生寺の由緒沿革
- ^ 江戸名所図会 1927, pp. 546–547.
- ^ 永久の会墓苑 運営母体 高野山真言宗 放生寺(ほうしょうじ)について
- ^ 同日、穴八幡宮神事の流鏑馬が戸山公園で行われている。
参考文献
[編集]- 「下戸塚村 放生會寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ11豊島郡ノ3、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763977/20。
- 斎藤長秋 編「巻之四 天権之部 高田八幡宮」『江戸名所図会』 2巻、有朋堂書店〈有朋堂文庫〉、1927年、546-547頁。NDLJP:1174144/278。
外部リンク
[編集]- 高野山真言宗 放生寺(公式サイト)
- 永代供養墓 永久の会墓苑(放生寺の境内に創設された承継者不要の納骨堂)