手間村
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てまそん 手間村 | |
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廃止日 | 1955年4月25日 |
廃止理由 |
新設合併 手間村、賀野村 → 会見町 |
現在の自治体 | 南部町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 西伯郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
2,339人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 岸本町、米子市、西伯町、賀野村 |
手間村役場 | |
所在地 | 鳥取県西伯郡手間村大字天万字水取田 |
座標 | 北緯35度22分15秒 東経133度21分43秒 / 北緯35.37081度 東経133.36194度座標: 北緯35度22分15秒 東経133度21分43秒 / 北緯35.37081度 東経133.36194度 |
ウィキプロジェクト |
手間村(てまそん[1][2])は、鳥取県西伯郡にあった村。現在の西伯郡南部町の一部にあたる。
地理
[編集]歴史
[編集]- 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、会見郡寺内村、三崎村、天万宿、宮前村、田住村が合併して村制施行し、手間村が発足[1][2]。旧村名を継承した寺内、三崎、天万、宮前、田住の5大字を編成[2]。
- 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により西伯郡に所属[2]。
- 1929年(昭和4年)南部11か村組合立製糸工場開設し、のち伯西社に合併[3]。
- 1955年(昭和30年)
産業
[編集]- 農業
交通
[編集]鉄道
[編集]- 1924年(大正13年)法勝寺鉄道(日ノ丸自動車法勝寺電鉄線)が開通し、手間駅・変電所を設置[3]。1967年(昭和42年)まで存続[2]。
教育
[編集]- 1873年(明治6年)3月、第8番小学天万学校開校[3]。1886年(明治19年)天万・浅井両小学校が合併し宮前小学校となるが、1887年(明治20年)に分離[3]。1888年(明治21年)天万・金田両小学校が合併して宮前尋常小学校となる[3]。1890年(明治23年)宮前尋常小学校から天万尋常小学校が分離し、大字天万字大屋敷に移転[3]。1901年(明治34年)大字天万字下宮尾に新校舎落成し、天万尋常高等小学校に改称[3]。
名所・旧跡
[編集]出身・ゆかりのある人物
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 『市町村名変遷辞典』500頁。
- ^ a b c d e f g h i 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』505頁。
- ^ a b c d e f g h i j 「天万〈会見町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』510-511頁。
- ^ 「田住〈会見町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』474頁。
- ^ 「諸木〈会見町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』775頁。
- ^ 「寺内〈会見町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』505頁。
- ^ 『鳥取県人名鑑 昭和5年版』カ191 - 192頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月25日閲覧。
- ^ 『実業の世界 31(1)一月特輯増大號』82頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月25日閲覧。
参考文献
[編集]- 鳥取新報社編『鳥取県人名鑑 昭和5年版』鳥取新報社、1930年。
- 『実業の世界 31(1)一月特輯増大號』実業之世界社、1934年。
- 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』。
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。