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賀野村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かのそん
賀野村
廃止日 1955年4月25日
廃止理由 新設合併
手間村賀野村会見町
現在の自治体 南部町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
西伯郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,164
国勢調査、1950年)
隣接自治体 岸本町、手間村、西伯町日野郡溝口町
賀野村役場
所在地 鳥取県西伯郡賀野村大字金田字鳴居
座標 北緯35度20分16秒 東経133度24分43秒 / 北緯35.33786度 東経133.41186度 / 35.33786; 133.41186座標: 北緯35度20分16秒 東経133度24分43秒 / 北緯35.33786度 東経133.41186度 / 35.33786; 133.41186
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賀野村(かのそん[1][2])は、鳥取県西伯郡にあった。現在の西伯郡南部町の一部にあたる。

地理

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手間山の南東山麓の大谷筋・小松谷・朝鍋谷、高原の御墓原・越敷野に位置していた[2]

  • 河川:朝鍋川[3]、小松谷川[4]、高姫川[5]
  • 山岳:浅井山[6]

歴史

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  • 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、会見郡荻名村、市山村、浅井村、高姫村、井上村、御内谷村、金田村、朝金村、池野村、鶴田村が合併して村制施行し、賀野村が発足[1][2]。旧村名を継承した荻名、市山、浅井、高姫、井上、御内谷、金田、朝金、池野、鶴田の10大字を編成[2]。役場を大字金田字鳴居に設置[7]
  • 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により西伯郡に所属[2]
  • 1911年(明治44年)大字浅井に耕地整理組合設立[6]
  • 1917年(大正6年)御内谷耕地整理組合設立[8]
  • 1948年(昭和23年)賀野村農業協同組合設立[4]
  • 1954年(昭和29年)大字市山字天王原に賀野保育園開設[4]
  • 1955年(昭和30年)4月25日、西伯郡手間村と合併し、町制施行し会見町を新設して廃止された[1][2]。合併後、会見町大字荻名・市山・浅井・高姫・井上・御内谷・金田・朝金・池野・鶴田となる[2]

地名の由来

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産土神賀茂神社、熊野神社の神社名にちなむ[2]

産業

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  • 農業

教育

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  • 1873年(明治6年)第7番小学浅井学校開校[6]、浅井学校池野分校開校[3]。1887年(明治20年)池野簡易小学校となる[3]。1893年(明治26年)池野尋常小学校に改称[3]。1954年、大字池野字助ケ崎に新築移転[3](現:南部町立会見第二小学校)。
  • 1890年(明治23年)9月、宮前尋常小学校から金田尋常小学校が独立[7]。(現:南部町立会見小学校)

脚注

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  1. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』200頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』236頁。
  3. ^ a b c d e 「池野〈会見町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』90頁。
  4. ^ a b c 「市山〈会見町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』97-98頁。
  5. ^ 「高姫〈会見町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』464-465頁。
  6. ^ a b c 「浅井〈会見町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』68頁。
  7. ^ a b 「金田〈会見町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』234頁。
  8. ^ 「御内谷〈会見町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』724頁。

参考文献

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関連項目

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