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戸田光直

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

戸田 光直(とだ みつなお、明暦3年(1657年) - 享保元年8月2日1716年9月17日))は、江戸時代中期の旗本。北方戸田家初代。

経歴

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美濃加納藩初代藩主松平光重の三男。2代藩主松平光永の弟。正室は交代寄合横田溝口家溝口宣就の娘。子に戸田光言がいる。幼名は千代松、通称は孫七郎、内蔵助。初名は光賢。

寛文8年(1668年)、兄の光永が家督を相続した際、兄の光正(文殊戸田家)と共に同国本巣郡席田郡5,000石を分知された。同年10月11日、将軍徳川家綱に拝謁し、寄合に列した。

元禄3年(1690年)7月10日に定火消となるが、元禄14年(1701年)に懈怠により小普請に降格となった。

享保元年(1716年)没、享年60。小石川祥雲寺に葬られた。

子の光言の跡は、本家の松平光煕の四男の光清が養子入りした。その後、本家に婿として養嗣子(松平光行)を出すなどしながら、同家は幕末まで旗本として存続する。

参考文献

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