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横田溝口家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

横田溝口家(よこたみぞぐちけ)は、新発田藩溝口家の分家。旗本交代寄合切梅溝口家とも言う。知行は5000石。

概要

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新発田藩2代藩主溝口宣勝の二男溝口宣秋が父の遺領から6000石を分知されて成立した。2代溝口宣就の時、采地稟米に改め、後には陸奥国岩瀬郡知行を得て、陸奥国横田(現在の須賀川市横田)に陣屋を置いた[1]。代々5000石を知行した。

屋敷は一口坂[2]沿いに所在した[3]。現在の住所で言えば、千代田区九段北4丁目1番である。敷地は1672坪あり、現在の靖国通り側に門があった。現在はいくつかの建物に分割されており、屋敷があった面影はない。

墓所は本家である新発田藩と同じ吉祥寺。なお、墓碑は1931年昭和6年)に合葬され、現在江戸期の墓石は初代宣秋夫妻の2基だけ残る。

脚注

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参考

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