戸田光正 (孫十郎)
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時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 正保元年(1644年) |
死没 | 元禄15年3月5日(1702年4月1日) |
改名 | 申松、光真、光正 |
別名 | 孫十郎(通称)、光高、光澄 |
墓所 | 東京都港区愛宕の青松寺 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川家綱、綱吉 |
氏族 | 戸田氏 |
父母 | 松平光重 |
兄弟 |
松平光永、光正、光直、今城定淳室、 安藤重博正室 |
妻 | 板倉重矩養女、松平近栄娘 |
子 | 光輝、板倉重浮室 |
戸田 光正(とだ みつまさ)は、江戸時代前期から中期にかけての旗本。通称は孫十郎。別名に光高、光澄。文殊戸田家初代。
略歴
[編集]美濃国加納藩初代藩主松平光重の次男として誕生。幼名は申松、初名は光真。
寛文4年(1664年)6月13日、4代将軍徳川家綱に拝謁する。寛文8年(1668年)、兄の光永が家督を相続した際、美濃国本巣郡・方県郡・席田郡5000石を分知され、寄合に列する。
元禄15年(1702年)没、享年59。貝塚の青松寺に葬られた。子孫は幕末まで旗本として存続する。
系譜
[編集]参考文献
[編集]- 「寛政重修諸家譜 巻第904」