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慶応2年8月の風水害

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

慶応2年8月の風水害(けいおう2ねん8がつのふうすいがい)は、1866年9月15日ごろと9月24日ごろ(慶応2年8月7日ごろと8月16日ごろ)の2度にわたり日本を襲った風水害である。

日本各地の状況

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『日本気象史料』には、和暦の8月6日から7日ごろ及び15日から16日ごろについて、ともに関東地方から近畿地方にかけての一帯で被害の記録が掲載されている[1]

以下、月日はすべて和暦である。

東北地方

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山形県では8日に大風が吹いた[2]

北陸地方

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石川県の大聖寺では4日頃から雨で、7日の夜に出水し、8つ時(8日の2時)から辰巳風(南東風)が吹いた[3]

関東地方

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江戸周辺では7日は大雨で、7日から8日にかけて大風が吹いたほか、16日は曇だったものの大風が吹いた[4]

東海地方

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岐阜県では8日7ツ時(4時ごろ)から9ツ時(12時ごろ)まで暴風が烈しく、揖斐川長良川の周辺では水害も起こった[5]

飛騨では7日に大風が吹いてイネに被害が出たほか、16日には「寅年の大水」と呼ばれる大洪水が起きた[6]

愛知県内では5日夜から7日まで大雨が続き、7日は夜(20時ごろ)から翌朝(7時ごろ)まで暴風雨であった[7]

近畿地方

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中部・南部

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滋賀県愛知郡では7日の夜に辰巳(南東)の大風が吹き、明け方には南に回って朝まで吹いたが、水害はさほどでもなかったとされる[8]高島郡では7日に大風や高波によって被害が出た[9]

京都の「中山忠能日記」によると、8日の明け方は南風が強く、樹木や大枝が折れ、雨も降ったが、未刻(14時)ごろから晴れ、夕方には小雨となり、夜には南風も止んだ[1]

兵庫津では4日に北東の風が吹いて船がよく進んだと長州征伐へ向かう沼津藩士の日記に書かれている[10]

和歌山県内では7日に北部・南部とも大風雨となり、紀の川が決壊した[11]

北部

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出石では7日と16日に大雨で川が増水し[12]、「御用部屋日記」には被害の様子が詳細に書かれている[13]

国府村では6日と7日が大風雨・洪水で、「寅年の大水」と呼ばれ、庄屋が生野代官所に被害を届け出ている[14]

豊岡では8日に大雨で円山川が増水し、14日と15日にも大雨で各河川が決壊した[15]。旧奈佐村では「寅年の大洪水」と呼ばれていた[16]

中国地方

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山陰

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鳥取では4日から雨が降り始め、6日夜から大雨となり、7日の夕方に北風が強く吹き、夜半に袋川が増水、8日の朝に決壊して城下一円で洪水となった[17]

『山口県災異誌』には対応する記載がない[18]

山陽

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備中よりも東で風による被害が大きかったとされる[19]

広島県では、奴可郡で大風によりイネに被害が出た[19]。広島県の瀬戸内海付近では7日の夜5つ時(20時)に北西の風が吹き、4つ時(22時)頃には暴風雨となった[10]。『広島県気象史料』には対応する記載がない[20]

四国地方

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高知県では、真覚寺日記に記載があり、5日が雨、6日が大雨、7日が大雨で夜に大風が吹いたほか、15日の夜も大雨で波が高かった[21]

九州・沖縄地方

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「西日本災異誌」と『沖縄気象台百年史』には対応する記載がない[22][23]

脚注

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  1. ^ a b 中央気象台・海洋気象台編『日本気象史料』、pp.249-251及びpp.387-388、1939年3月
  2. ^ 山形地方気象台編『山形県災異年表』増補第5版、p.34、山形地方気象台・山形県農林部、1972年3月
  3. ^ 石川県・金沢地方気象台編『石川県災異誌』、p.163、日本気象協会金沢支部、1971年3月
  4. ^ 東京市編『東京市史稿/変災編/第2』、pp.998-999、1915年7月
  5. ^ 岐阜地方気象台編『岐阜県災異誌』、p.33、1965年3月
  6. ^ 岡村利平『飛騨編年史要』飛騨叢書第8編、p.376、住伊書院、1921年11月
  7. ^ 名古屋地方気象台監修『愛知県災害誌』、p.112、愛知県、1970年8月
  8. ^ 滋賀県愛智郡教育会編『近江愛智郡志誌』第3巻、p.761、滋賀県愛智郡教育会、1929年11月
  9. ^ 滋賀県高島郡教育会編『高島郡誌』、p.972、滋賀県高島郡教育会、1927年
  10. ^ a b 水野重教著、宇野量介解読・解説、沼津市立駿河図書館編『水野伊織日記』、pp.122-123、沼津市立駿河図書館、1983年3月
  11. ^ 和歌山測候所編『紀州災異誌』、p.34、1953年9月
  12. ^ 出石町役場総務課町史編集室編『分類出石藩御用部屋日記』、p.307、出石町、1982年9月
  13. ^ 豊岡市立図書館「郷土資料デジタルライブラリ」”. 豊岡市立図書館. 2019年3月4日閲覧。
  14. ^ 国府村誌編集委員会編『国府村誌』中巻、pp.258-259、国府地区公民館、1962年7月
  15. ^ 豊岡町編『豊岡誌』巻下、p.221、1943年10月
  16. ^ 奈佐誌編輯委員会編『奈佐誌』、p.16、奈佐村、1955年3月
  17. ^ 鳥取市発行『鳥取市史』、p.941、1943年5月
  18. ^ 山口県編『山口県災異誌』、p.305、1953年3月
  19. ^ a b 広島県立文書館編『村上家乗/慶応二年』広島県立文書館資料集3、2004年3月
  20. ^ 遠藤二郎編『広島県気象史料』中央気象台彙報第35冊第1号、p.42、中央気象台、1950年10月
  21. ^ 高知県編『高知県災害異誌』、p.56、1966年10月
  22. ^ 日下部正雄「西日本災異誌」『研究時報』第11巻、pp.425-465、気象庁、1959年
  23. ^ 沖縄気象台編『沖縄気象台百年史/資料編』、p.63、1992年3月

参考文献

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  • 出石町役場総務課町史編集室編『分類出石藩御用部屋日記』、出石町、1982年
  • 遠藤二郎編『広島県気象史料』中央気象台彙報第35冊第1号、中央気象台、1950年
  • 岡村利平『飛騨編年史要』飛騨叢書第8編、住伊書院、1921年
  • 沖縄気象台編『沖縄気象台百年史/資料編』、1992年
  • 岐阜地方気象台編『岐阜県災異誌』、1965年
  • 日下部正雄「西日本災異誌」『研究時報』第11巻、pp.425-465、気象庁、1959年
  • 高知県編『高知県災害異誌』、1966年
  • 国府村誌編集委員会編『国府村誌』中巻、国府地区公民館、1962年
  • 滋賀県愛智郡教育会編『近江愛智郡志誌』第3巻、滋賀県愛智郡教育会、1929年
  • 滋賀県高島郡教育会編『高島郡誌』、滋賀県高島郡教育会、1927年
  • 東京市編『東京市史稿/変災編/第2』、1915年
  • 鳥取市発行『鳥取市史』、1943年
  • 名古屋地方気象台監修『愛知県災害誌』、愛知県、1970年
  • 奈佐誌編輯委員会編『奈佐誌』、奈佐村、1955年
  • 広島県立文書館編『村上家乗/慶応二年』広島県立文書館資料集3、2004年
  • 水野重教著、宇野量介解読・解説、沼津市立駿河図書館編『水野伊織日記』、沼津市立駿河図書館、1983年
  • 山口県編『山口県災異誌』、1953年
  • 和歌山測候所編『紀州災異誌』、1953年