愛知電気鉄道電1形電車
愛知電気鉄道電1形電車 附1形電車・電2形電車 | |
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電1形1 | |
基本情報 | |
製造所 | 日本車輌製造・名古屋電車製作所 |
主要諸元 | |
軌間 | 1,067 mm(狭軌) |
電気方式 | 直流600 V(架空電車線方式) |
全長 | 10,364 mm |
全幅 | 2,640 mm |
全高 | 3,658 mm |
車体 | 木造 |
台車 | MG製ラジアル台車 |
主電動機 | 直流直巻電動機 |
主電動機出力 | 50 PS |
搭載数 | 2基 / 両 |
駆動方式 | 吊り掛け駆動 |
制御装置 | 直接制御 |
制動装置 | 手ブレーキ |
備考 | 電2形の主要寸法は全長10,642 mm・全幅2,642 mm・全高3,670 mm |
愛知電気鉄道電1形電車(あいちでんきてつどうでん1がたでんしゃ)は、愛知電気鉄道が同社路線の開業に際して1912年(明治45年)に導入した、4輪単車構造の電車(制御電動車)である。
本項では、同形の付随車である附1形(ふ1がた)、および翌1913年(大正2年)に導入された電1形の改良型である電2形の両形式についても併せて記述する。
沿革
[編集]1910年(明治43年)11月に発足した愛知電気鉄道(愛電)は、同年9月に敷設免許を取得済であった熱田町新宮坂より常滑町へ至る鉄道路線(後の愛電常滑線、現・名鉄常滑線に相当)の建設に着手[1]、1912年(明治45年)2月の伝馬町 - 大野町間23.3 kmの開通をもって営業を開始した[2]。
この路線開通に際して、電1形1 - 8の8両が日本車輌製造にて新製された[3][4][5][* 1]。電1形は全長10 m級の4輪単車としては大型の車体を備え[4]、車体前後の乗降口をオープンデッキ構造とした木造単車である[6]。制御器はウェスティングハウス・エレクトリック (WH) 製の直接制御器を採用、主電動機はブリティッシュ・ウェスティングハウス・エレクトリック (BWH) 製の定格出力50 PSのものを1両あたり2基搭載し、台車はマウンテン・ギブソン (MG) 製のラジアル台車を装着する[4]。制動装置は手ブレーキのみで、空気ブレーキの装備はない[7]。連結器はピンリンク式連結器を採用、前後妻面下部に装着する[7]。
さらに、開業後の業績好調を受けて[2]、1912年(明治45年)内に附1形4両が増備された[2][6]。同4両の車両番号は9 - 12と、電1形1 - 8の続番が付与された[4]。附1形は電1形と同じく日本車輌製造にて新製され、動力装置や運転機器を持たないトレーラー(付随車)である点を除いて、電1形とほぼ同形の木造オープンデッキ構造の4輪単車である[4]。
次いで、1913年(大正2年)3月の大野町 - 常滑間5.2 kmの延伸開通に伴い[8]、同年7月に電2形6両が名古屋電車製作所にて新製された[4][8]。主要機器の仕様は電1形に準じているが[4]、乗降口の構造がオープンデッキ構造から車体側面に客用扉を備える密閉構造に設計変更され[9]、また連結器をピンリンク式連結器から螺旋連結器に変更した点が異なる[7]。連結器の仕様変更は国有鉄道との貨物連絡運輸を念頭に、貨車牽引の目的で行われたもので[7][* 2]、電1形・附1形についても1914年(大正3年)に螺旋連結器へ一斉交換された[7][* 3]。
電2形の車両番号は13 - 18と、電1形以来の通し番号が付与された[4]。また、1919年(大正8年)には附1形19・20の2両が自社工場にて新製された[6]。
電1形5、および電2形15の2両は、1919年(大正8年)10月に常滑線日長 - 新舞子間にて発生した正面衝突事故[10]の当該車両となった[6]。当該車両2両がいずれも車番末尾「5」の車両であったことから、1920年(大正9年)10月に電1形5の電装品を19に転用した際に一斉改番し附随客車は60番台とし電動客車は1より車番末尾「5」を欠番とした通し番号となった[11][* 4]。以降愛電において車番末尾「5」は忌み数として後継の各形式においても欠番扱いとされ、一切用いられなくなった[6]。
これら延べ20両が導入された4輪単車各形式[14]は、より大型の車体を備える2軸ボギー車各形式の導入に伴って大正年間末期より淘汰が開始された[4]。電1形・附1形は1923年(大正13年)までに、電2形は1932年(昭和7年)までにそれぞれ形式消滅し、愛電における旅客用4輪単車は全廃となった[4]。
このうち、電1形2両が石川鉄道へ、附1形1両が法勝寺鉄道へ、電2形が黒部鉄道と法勝寺鉄道へ各1両ずつ、それぞれ譲渡された[4]。また、電1形(番号は不明)のモーターは木造電動貨車デカ350形に再利用されている。
改番表
[編集]- 出典:『名古屋鉄道車両史 上巻』pp.62-64
旧番号 | 新番号 | 備考 |
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電1形 1 | 電1形 1 | 1921年石川鉄道へ[15]。 |
電1形 2 | 電1形 2 | 1921年石川鉄道へ[15]。 |
電1形 3 | 電1形 3 | |
電1形 4 | 電1形 4 | |
電1形 5 | 附1形 61 | 1920年附随車化(電装品は19号へ)[11]。 |
電1形 6 | 電1形 6 | |
電1形 7 | 電1形 7 | |
電1形 8 | 電1形 8 | 1923年使用中止[16]。 |
附1形 9 | 附1形 62 | |
附1形 10 | 附1形 63 | |
附1形 11 | 附1形 64 | 1924年法勝寺鉄道へ[17][18]。 |
附1形 12 | 附1形 66 | |
電2形 13 | 電2形 13 | |
電2形 14 | 電2形 14 | |
電2形 15 | 電2形 12 | 1924年法勝寺鉄道へ[17][18]。 |
電2形 16 | 電2形 16 | 1922年黒部鉄道へ[19]。 |
電2形 17 | 電2形 11 | 1924年法勝寺鉄道へ[20][21]。 |
電2形 18 | 電2形 10 | |
附1形 19 | 電2形 9 | 1920年電動車化(電装品は5号より)[11]。1924年法勝寺鉄道へ[20][21]。 |
附1形 20 | 附1形 67 | |
イロ310 | 68 | 国鉄から譲り受けた一等・二等合造客車[12][* 4]。1923年駄知鉄道へ[22]。 |
イロ311 | 69 | 国鉄から譲り受けた一等・二等合造客車[12][* 4]。1923年駄知鉄道へ[22]。 |
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 渡辺・加藤 (1971) は電1形の製造メーカーを名古屋電車製作所であるとしているが、同社の創立は1912年(明治45年)2月の電1形の落成より後の同年4月である[3]。また日本車輌製造における公式資料にて、電1形8両が日本車輌製造本店にて完成した旨の記録が残されている[3]。
- ^ 1913年(大正2年)8月に秋葉前 - 神宮前間が開通し[8]、同年9月には愛電神宮前と国鉄熱田を結ぶ貨物連絡線が開通、同年12月より貨物列車の直通連帯運輸が開始された[8]。
- ^ その後、1925年(大正14年)に当時在籍した全車を対象に連結器の並形自動連結器への交換が実施された[7]。
- ^ a b c 同時期に鉄道院から譲り受けたイロ310・311合造客車も改番対象となり、附68・69号となった[12]。名鉄発行の『写真が語る名鉄80年』(1975年)における車両形式変遷表では当該2両を「附2形」としている[13]。
出典
[編集]- ^ 『名古屋鉄道社史』 p.143
- ^ a b c 『名古屋鉄道社史』 pp.146 - 148
- ^ a b c 『驀進 日本車輌80年のあゆみ』 p.428
- ^ a b c d e f g h i j k 「名古屋鉄道の車両前史 現在の名鉄を構成した各社の車両」 (1986) p.171
- ^ 「続 絵葉書が語る 名古屋鉄道前史時代」 (2009) p.85
- ^ a b c d e 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 終」 (1971) pp.64-65
- ^ a b c d e f 白井昭 2003年3月9日 知多市歴史民俗博物館 ふるさと歴史・文化講座より - 白井昭電子博物館 2015年1月26日閲覧
- ^ a b c d 『名古屋鉄道社史』 pp.151 - 152
- ^ 「絵葉書が語る 名古屋鉄道前史時代」 (2006) p.74
- ^ 『名古屋鉄道社史』 p.738
- ^ a b c No.38「客車改造の件(車輌番号変更)」『鉄道免許・名古屋鉄道(元愛知電気鉄道)8・大正9年』
- ^ a b c 『名古屋鉄道車両史 上巻』 p.64
- ^ 『写真が語る名鉄80年』 p.189
- ^ 『名古屋鉄道社史』 p.164
- ^ a b No.8「石川鉄道に客車譲渡認可の件」『鉄道免許・名古屋鉄道(元愛知電気鉄道)9・大正9〜10年』
- ^ No.8「電動客車設計の件認可」『鉄道免許・名古屋鉄道(元愛知電気鉄道)12・大正13年』
- ^ a b No.47「法勝寺鉄道(伯陽電鉄)へ客車譲渡の件認可」『鉄道免許・名古屋鉄道(元愛知電気鉄道)12・大正13年』
- ^ a b 「客車譲受使用ノ件」『第十門・地方鉄道及軌道・二、地方鉄道・伯陽電鉄(元法勝寺鉄道)・大正十一年~大正十五年』
- ^ No.4「黒部鉄道へ電動客車譲渡の件認可」『鉄道免許・名古屋鉄道(元愛知電気鉄道)11・大正12年』
- ^ a b No.31「法勝寺鉄道(伯陽電鉄)へ車両(電動客車)譲渡の件認可」『鉄道免許・名古屋鉄道(元愛知電気鉄道)12・大正13年』
- ^ a b 「車輌譲受使用ノ件」『第十門・地方鉄道及軌道・二、地方鉄道・伯陽電鉄(元法勝寺鉄道)・大正十一年~大正十五年』
- ^ a b No.16「駄知鉄道へ客車譲渡の件認可」『鉄道免許・名古屋鉄道(元愛知電気鉄道)11・大正12年』
参考資料
[編集]公文書
[編集]- 国立公文書館所蔵資料
- 『鉄道免許・名古屋鉄道(元愛知電気鉄道)8・大正9年』
- 『鉄道免許・名古屋鉄道(元愛知電気鉄道)9・大正9〜10年』
- 『鉄道免許・名古屋鉄道(元愛知電気鉄道)11・大正12年』
- 『鉄道免許・名古屋鉄道(元愛知電気鉄道)12・大正13年』
書籍
[編集]- 名古屋鉄道株式会社社史編纂委員会 『名古屋鉄道社史』 名古屋鉄道 1961年5月
- 名古屋鉄道『写真が語る名鉄80年』名古屋鉄道 1975年
- 日本車輌製造 『驀進 日本車輌80年のあゆみ』 日本車輌製造 1977年
- 清水武、田中義人『名古屋鉄道車両史 上巻』アルファベータブックス 2019年