愚かなり、わが恋
『愚かなり、わが恋』 | ||||
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ブライアン・フェリー の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 |
1973年6月 ロンドン AIRスタジオ | |||
時間 | ||||
レーベル |
アイランド・レコード アトランティック・レコード | |||
プロデュース | ブライアン・フェリー、ジョン・ポーター、ジョン・パンター | |||
ブライアン・フェリー アルバム 年表 | ||||
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『愚かなり、わが恋』(These Foolish Things)は、イングランドのロック・ミュージシャンのブライアン・フェリーが、ロキシー・ミュージックに在籍していた1973年に発表した初のソロ・アルバムである[1][2]。
解説
[編集]経緯
[編集]録音は1973年6月にロンドンのAIRスタジオで行なわれた。プロデューサーはフェリー、ジョン・ポーター[注釈 1]、ジョン・パンター[注釈 2]。フェリー(ヴォーカル、ピアノ)、ポーター(ギター、ベース)の他、ロキシー・ミュージックのポール・トンプソン(ドラムス)とエディ・ジョブソン[注釈 3](キーボード、バイオリン)、デヴィッド・スキナー[注釈 4](ピアノ)らが演奏に参加した。
内容
[編集]フェリーはそれまでに発表されたロキシー・ミュージックの2作のアルバムを自作で埋め尽くした[注釈 5]が、対照的に初のソロ・アルバムを全てカバーで構成した。収録曲にはスタンダートの「愚かなり、我が恋」(1935年)からローリング・ストーンズの「悪魔を憐れむ歌」(1968年)まで、幅広い領域に渡る楽曲が取り上げられた。
同年9月、ボブ・ディランの「はげしい雨が降る」がシングル発表され[3]、10月に全英シングルチャートで最高位10位を記録した[4]。本作はイギリスでは10月に発表され、全英アルバムチャートの最高位5位を記録してチャートに42週間留まった[5]。
翌1974年、彼は7月に次作『アナザー・タイム、アナザー・プレイス (いつかどこかで)』を発表した後、12月にニューカッスル、バーミンガム、ロンドンで初のソロ・コンサートを開いた。本作からは「悪魔を憐れむ歌」「わすれたいのに」「ベイビー・アイ・ドント・ケア」「ドント・ウォーリー・ベイビー」「トラックス・オブ・マイ・ティアーズ」「ユー・ウォント・シー・ミー」「はげしい雨が降る」「愚かなり、我が恋」を披露した[注釈 6][6][7]。さらに彼は、「はげしい雨が降る」をロキシー・ミュージックの1975年のツアー[注釈 7][8][9][10]や1977年のソロ・ツアー[注釈 8][11][12]でも取り上げた[注釈 9]。
収録曲
[編集]- LP
- CD
参加メンバー
[編集]- Bryan Ferry – Voices & Occasional Piano
- John Porter – Guitars & Bass
- Paul Thompson – Drums
- Eddie Jobson – Violin, Keyboards & Synthesizer
- David Skinner – Piano
- Roger Ball – Alto & Baritone Saxes, Horn arrangements
- Malcolm Duncan – Tenor Sax
- Henry Lowther – Trumpet
- Phil Manzanera – Guitar Solo (CD #10)
- John Punter – Additional Drums (CD #7, #8)
- Ruan O'Lochlainn – Alto Solo (CD #11)
- Robbie Montgomery – Backing Vocals (CD #1, #8)
- Jessie Davis – Backing Vocals (CD #1, #8)
- The Angelettes – Backing Vocals (CD #2–7, #9–13)
- Cover Design – Nicholas De Ville
- Photography – Karl Stoecker
- Clothes & Make-up – Anthony Price
- Hair – by Smile
- Engineers – John Punter & Steve Nye
- Assistant – Andy Arthurs
- Majordomo – Christian Wainwright
- Produced by – Bryan Ferry, John Porter & John Punter
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ フェリーが1960年代にニューカッスル大学に在学中に結成したザ・ガス・ボード(The Gas Board)のメンバー。ロキシー・ミュージックのセカンド・アルバム『フォー・ユア・プレジャー』(1972年)に客演してベースを演奏。後にザ・スミスのデビュー・アルバムをプロデュースした。
- ^ 後にジャパンなどのプロデューサーを務めた。
- ^ ブライアン・イーノの後任としてロキシー・ミュージックに加入したばかりだった。
- ^ 1979年に再結成したロキシー・ミュージックの準メンバーに迎えられ、日本公演にも参加した。
- ^ 本作発表後に発表した3作目のアルバムからは、メンバーと数曲を共作するようになった。
- ^ 12月19日にロイヤル・アルバート・ホールで行なわれたロンドン公演の模様は、2020年にCD"Live At The Royal Albert Hall 1974"として発表された。
- ^ 1976年1月27日のストックホルム公演をSR International – Radio Swedenが収録して放映した約45分の番組が、同年12月30日にNHK総合テレビジョンの『ヤング・ミュージック・ショー』で放映され、同曲も含まれた。
- ^ ツアーは1977年2月初旬から同年7月末まで行なわれた。同曲は6月の初の日本公演でも披露され、渋谷のNHK放送センターの101スタジオで行なわれた総合テレビジョンの『ヤング・ミュージック・ショー』の公開録画でも演奏された。放送日は同年9月10日。
- ^ さらに彼は『アナザー・タイム、アナザー・プレイス (いつかどこかで)』では「悲しきベイブ」、アルバム『フランティック』(2002年)では「イッツ・オール・オーバー・ナウ、ベイビー・ブルー」と「くよくよするなよ」を取り上げ、2007年には全収録曲がディランの楽曲であるアルバム『ディラネスク』を発表した。
出典
[編集]- ^ Buckley (2004), pp. 140–144, 146, 147.
- ^ Thompson (2022), pp. 46–50.
- ^ “Discogs”. 2024年11月10日閲覧。
- ^ Buckley (2004), p. 141.
- ^ Buckley (2004), p. 146.
- ^ “Discogs”. 2024年11月9日閲覧。
- ^ Thompson (2022), pp. 80–82.
- ^ “ヤング・ミュージック・ショー ―ロキシー・ミュージック&フリートウッド・マック― | NHKクロニクル | NHKアーカイブス”. 日本放送協会. 2022年7月24日閲覧。
- ^ Buckley (2004), p. 199.
- ^ 城山隆『僕らの「ヤング・ミュージック・ショー」』情報センター出版局、2005年、386頁。ISBN 978-4795843622。
- ^ “nhk.or.jp”. 2023年11月4日閲覧。
- ^ 城山隆『僕らの「ヤング・ミュージック・ショー」』情報センター出版局、2005年、422-428頁。ISBN 978-4795843622。
引用文献
[編集]- Buckley, David (2004). The Thrill of It All: The Story of Bryan Ferry & Roxy Music. London: Andre Deutsch. ISBN 0-233-05113-9
- Thompson, Dave (2022). Roxy Music in the 1970s. London: Sonic Bond Publishing. ISBN 978-1-78952-180-1