惟彦親王
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惟彦親王 | |
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時代 | 平安時代前期 |
生誕 | 嘉祥3年(850年) |
薨去 | 元慶7年1月29日(883年3月11日) |
官位 | 四品中務卿兼大宰帥 |
父母 | 父:文徳天皇、母:滋野奥子 |
兄弟 |
惟喬親王、源能有、惟条親王、惟彦親王、清和天皇、源毎有、源時有、源本有、源載有、源行有、源定有、源富有、 濃子内親王、勝子内親王、他 |
子 | 惟世王、直子女王 |
惟彦親王(これひこしんのう)は、文徳天皇の第三皇子。官位は四品・中務卿。
経歴
[編集]清和朝の貞観9年(867年)四品に叙せられ、貞観10年(868年)常陸太守に任ぜられる。その後、貞観15年(873年)弾正尹、貞観18年(876年)中務卿を歴任し、上総太守や常陸太守を兼ねた。
陽成朝でも引き続き中務卿を務める一方、上野太守や大宰帥も兼帯している。元慶7年(883年)1月29日薨去。享年34。最終官位は四品中務卿兼大宰帥。
官歴
[編集]『日本三代実録』による。
- 貞観9年(867年) 正月7日:四品
- 貞観10年(868年) 正月16日:常陸太守
- 貞観15年(873年) 正月13日:弾正尹
- 貞観17年(875年) 2月27日:兼上総太守
- 貞観18年(876年) 2月15日:兼常陸太守。12月26日:中務卿、常陸太守如故
- 元慶5年(881年) 正月15日:兼上野太守
- 時期不詳:大宰帥
- 元慶7年(883年) 正月29日:薨去(四品中務卿兼大宰帥)
系譜
[編集]『本朝皇胤紹運録』による。
脚注
[編集]- ^ 『一代要記』『帝王編年記』