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志摩則正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

志摩 則正(しま のりまさ、明和5年〈1768年〉 - 天保9年〈1838年〉)は、江戸時代後期の関流和算家数学者)。旧姓は丹後、通称は吉左衛門。

生涯

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能登部上村の加賀藩御用商人、丹後屋に生まれ、幼少期より和算を好んだ。則正も藩の出入商人を務め、富豪となった。その後、作事町(現在の七尾市)に移住し、廻船業に転職。七尾から富山湾の航路を使って航海し、富山の高木允胤を師として和算を学ぶ。1831年(天保2年)に和算の奥義を極めた。

業績

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参考文献

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  • 吉住 雅佳, 久麻加夫都阿良加志比古神社の算額聞書, 1999.
  • 吉住 雅佳, 美麻奈比古神社の算額聞書, 2000.
  • 石川県の現存算額総集, 2009.
  • 田中 鈇吉, 郷土数学, 1935.
  • 田中 鈇吉, 加越能に於ける数学, 1936.
  • 林 鶴一, 和算研究集録 下巻, 1937.
  • 七尾市史編さん専門委員会, 新修七尾市史11(教育文化編), 2002.
  • 清水 一布, 能登部町誌, 1936.