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徳川良子 (尾張徳川家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

徳川 良子(とくがわ よしこ、1869年4月18日明治2年3月7日) - 1924年大正13年)11月13日[1])は、明治時代初期から大正時代の女性。尾張徳川家第18代当主・徳川義礼の2番目の夫人。父は徳川慶勝。別名は良姫

生涯

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尾張藩主・徳川慶勝の七女として生まれる。母は側室の靖恭院(那須氏)。姉・鴻子が離縁した尾張徳川家18代当主・徳川義礼の継夫人となり、1892年明治25年)に長女の米子を出産した。米子はその後、松平春嶽の四男・錦之丞(徳川義親)と結婚して義親を尾張家の婿養子に迎え、慶勝の血筋をつないだ[2]

1924年大正13年)、死去[3]

脚注

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  1. ^ 平成新修旧華族家系大成』下巻(霞会館、1996年)p.166
  2. ^ 『幕末三百藩 : 古写真で見る最後の姫君たち』(2016年7月10日KADOKAWA
  3. ^ 尾張名古屋藩主家 尾張徳川氏系譜”. 花筐館<葵の間>. 2023年6月3日閲覧。