徳川米子
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徳川 米子(とくがわ よねこ、1892年(明治25年)3月26日 - 1980年(昭和55年)10月10日[1])は、明治から昭和後期の日本の女性。尾張徳川家第19代当主・徳川義親の妻。父は尾張徳川家第18代当主徳川義礼。母は徳川良子。
生涯
[編集]徳川義礼の長女として生まれる[2]。1906年(明治39年)8月、軽井沢で越前松平家・松平春嶽の四男である錦之丞(徳川義親)と見合いし、1909年(明治42年)に結婚した[要出典]。義親は入婿となり、尾張徳川家の家督を相続した[3]。
義親との間に3男3女をもうける。1911年(明治44年)に出産した長男の義知は尾張徳川家の20代当主となる。[要出典]
1980年に死去[1]。
脚注
[編集]- ^ a b 『平成新修旧華族家系大成』下巻(霞会館、1996年)p.167
- ^ 桐原千文「春季特別展「徳川義親と文化遺産」によせて 徳川義親と蓬左文庫」(PDF)『蓬左』第70号、名古屋市蓬左文庫、2016年4月12日、2-3頁。
- ^ 小田部雄次『徳川義親の十五年戦争』青木書店、1988年、[要ページ番号]