徳川鴻子
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徳川 鴻子(とくがわ こうこ、1857年6月26日(安政4年閏5月5日) - 1908年(明治41年)8月19日[1])は、江戸時代末期から明治時代の女性。尾張徳川家第18代当主・徳川義礼の最初の夫人。父は徳川慶勝。別名は登代姫、豊姫(とよひめ)。院号は真相院。
生涯
[編集]尾張藩主・徳川慶恕(のちに慶勝と改名)の四女として生まれる。母は側室のお玉の方(武藤氏)。尾張徳川家18代当主・徳川義礼の妻となるが、後に離縁する。離縁後は妹の良子が義礼の後妻となった[2]。
脚注
[編集]- ^ 『平成新修旧華族家系大成』下巻(霞会館、1996年)p.166
- ^ “名刀紀行 ―京・大和と九州―”. 徳川美術館. 2023年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月2日閲覧。
- ^ “尾張名古屋藩主家 尾張徳川氏系譜”. 花筐館<葵の間>. 2023年6月2日閲覧。