形埜村
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かたのむら 形埜村 | |
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廃止日 | 1956年9月30日 |
廃止理由 |
新設合併 豊富村、宮崎村、形埜村、下山村(一部) → 額田町 |
現在の自治体 | 岡崎市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 愛知県 |
郡 | 額田郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 37.99 km2. |
総人口 |
2,545人 (愛知県郡市町村勢要覧[1]、1950年10月1日) |
隣接自治体 | 岡崎市、額田郡豊富村、宮崎村、下山村、南設楽郡作手村 |
村の花 | ササユリ |
形埜村役場 | |
所在地 | 愛知県額田郡形埜村大字桜形字日面3 |
座標 | 北緯34度59分18秒 東経137度19分00秒 / 北緯34.98828度 東経137.31669度座標: 北緯34度59分18秒 東経137度19分00秒 / 北緯34.98828度 東経137.31669度 |
ウィキプロジェクト |
形埜村(かたのむら)は、かつて愛知県額田郡にあった村である。村名は旧・桜形村と鍛埜村の一文字ずつ取った、合成地名である。
地理
[編集]河川
[編集]公園
[編集]沿革
[編集]合併前
[編集]合併後
[編集]- 1889年(明治22年)10月1日 - 大高味村、南大須村、井沢村、毛呂村、小久田村、切山村、桜形村、鍛埜村が合併し、 形埜村となる。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 豊富村、宮崎村、形埜村、下山村の一部[10]が合併し、額田町となる[11]。
明治5年 | 明治22年 | 明治22年10月1日 | 明治22年 - 明治45年 | 大正元年 - 大正15年 | 昭和元年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | |||
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柳田村 名ノ内村 麻生村 |
桜形村 | 形埜村 | 形埜村 | 形埜村 | 昭和31年9月30日 額田町 |
平成18年1月1日 岡崎市に編入 |
岡崎市 | |||
鍛治屋村 大林村 土村 |
鍛埜村 | |||||||||
南須山村 大山村 |
南大須 | |||||||||
法味村 高薄村 大河村 |
大高味村 | |||||||||
竹沢連村 笠井村 |
井沢村 | |||||||||
上毛呂村 下毛呂村 |
毛呂村 | |||||||||
小楠村 赤田和村 桃ヶ久保村 |
小久田村 | |||||||||
切山村 |
教育
[編集]- 形埜村立形埜中学校(額田町立形埜中学校)
(1974年に下山、豊富、宮崎の各中学校と統合。現・岡崎市立額田中学校)
史跡
[編集]神社
[編集]
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寺院
[編集]脚注
[編集]- ^ 愛知県総務部統計課 1951年10月刊行
- ^ 大高味川・保久川・冨尾川・毛呂川・小久田川・大法川は乙川支流。
- ^ 後に大川に改称
- ^ 大河村の大、高薄村の高、法味村の味をとった村名
- ^ 南須山村の南と須、大山村の大をとり順番を変えた村名
- ^ 後に井沢村に改称
- ^ 後に桃久保に改称
- ^ 小楠村の小、桃ヶ久保の久、赤田和村の田をとった村名
- ^ 鍛冶屋村の鍛、大林村の林、土村の土をとり、林と土を合わせて埜とした村名
- ^ 下山村のうち、田代、田折、蕪木、蘭村東加茂郡下山村へ編入。
- ^ 当初、額田町の役場の設置場所については、旧・形埜村役場の再利用、旧・豊富村役場の再利用、新しく設置かでもめたという。最終的には旧・豊富村役場の使用となったという。
- ^ 岡崎市立形埜保育園 岡崎市役所こども部保育課