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広幡忠恒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ひろはた ただつね

広幡 忠恒
生誕 広幡 忠恒
(1937-06-30) 1937年6月30日(87歳)
東京都
国籍 日本の旗 日本
出身校 学習院大学政経学部卒業
職業 実業家
配偶者 米本悠子
子供 長女:広幡幸子
養子:広幡貴彦
父親:広幡増弥
母親:広幡信子
家族 曾祖父:伊藤雋吉
祖父:伊藤安吉
広幡忠隆
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広幡 忠恒(ひろはた ただつね、1937年昭和12年)6月30日[1] - )は、日本の実業家富士電機冷機会長。広幡家の第12代当主。父は広幡増弥学習院大学政経学部卒業。東京都出身。

生涯

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東京都出身。海軍技術少将広幡増弥とその妻で広幡忠隆の長女である信子の次男として生まれる[2]

学習院大学政経学部を卒業後、1960年昭和35年)に富士電機製造に入社し、1983年(昭和58年)には富士電機冷機の取締役に就任[3]。その後、富士電機冷機で1989年平成元年)に専務、1993年(平成5年)に専務、1999年(平成11年)に副社長となり、2000年(平成12年)に会長に就任した[3]。また1974年(昭和49年)と1992年(平成4年)に丸一証券の監査役も務めた[4]

私生活では東宝取締役・米本正の長女と結婚し、1968年(昭和43年)に長女の幸子が誕生した。

系譜

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脚注

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  1. ^ 『平成新修華族家系大成』下巻(霞会館、1996年)p.430
  2. ^ 1989年,日外アソシエーツ『日本著者名人名典拠録』
  3. ^ a b 1993年,日本経済新聞社『日経産業新聞 第21巻』
  4. ^ 1995年,人事興信所『人事興信録第2巻』