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横手市立浅舞小学校

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平鹿町立蛭野小学校から転送)
横手市立浅舞小学校
横手市立浅舞小学校
地図北緯39度15分47.16秒 東経140度28分45.55秒 / 北緯39.2631000度 東経140.4793194度 / 39.2631000; 140.4793194座標: 北緯39度15分47.16秒 東経140度28分45.55秒 / 北緯39.2631000度 東経140.4793194度 / 39.2631000; 140.4793194
過去の名称 浅舞学校
浅舞尋常小学校
浅舞尋常高等小学校
浅舞国民学校
平鹿町立浅舞小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 横手市
併合学校 蛭野小学校
設立年月日 1874年[1][2]
共学・別学 男女共学
学期 2学期制
学校コード B105220318118 ウィキデータを編集
所在地 013-0105
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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横手市立浅舞小学校(よこてしりつ あさまいしょうがっこう)は、秋田県横手市平鹿町浅舞にある公立小学校[3]

沿革

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略歴

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浅舞小学校の起源となるのは、明治期に発された学制によって1874年4月10日に開校した「浅舞学校」で、浅舞村覚町の旧官舎を使用して創立された[2]。児童数の増加に伴い、校舎の移転や分割が何度が行われるが、1880年には元の場所に落ち着いた[4]

1882年には下鍋倉・樽見内・砂子田などに分校を設置[5]1885年には高野分校および下鍋倉分校のみを残して他は廃止するが[注 1]、高野分校は1887年に廃止、1890年には下鍋倉分校が廃止された[5]。これにより、本校(浅舞小)のみとなった[5]

1886年には、小学校令公布により「浅舞尋常小学校」へと改称[6]1892年3月31日には小学校令改正により「浅舞尋常高等小学校」へと改称した[6]1898年に浅舞字野々助(後に浅舞中学校の立つ場所)へ校舎を移転[6]、その後5度の増築を繰り返す[7]

第二次世界大戦が勃発し、国民学校令が公布された1941年に「浅舞国民学校」へ改称[8]。戦後の学制改革により1947年に小学校へと戻った[9]1956年には浅舞町吉田村の合併により平鹿町が発足(醍醐村の編入は翌年)し「平鹿町立浅舞小学校」と改称[10]

1962年に現在地へと校舎を移転[2]1990年7月5日には現行の校舎が竣工している[1]2005年には、旧横手市と平鹿郡5町2村による合併で横手市が発足し、「横手市立浅舞小学校」と改称。

蛭野小学校

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1893年7月26日、浅舞小の分校として蛭野(ひるの)分教場が新設された[11]。蛭野分教場の前身となるのは、1878年に蛭野集落の有志によって設立された学校で、浅舞小から教員が派遣されて出張授業を行っていた[12]。児童数が急増したことにより、1898年には校舎を新築[13]1912年には校舎を改築[14]1928年には更に増築した[15]

1940年に蛭野分教場は複式学級を解消[15]。この時点で児童数は195名であった[15]1947年7月17日に分教場の独立推進を秋田県庁に陳謝[16]1948年2月11日に独立が認可され「蛭野小学校」が開校した[17][16]

1957年2月1日に蛭野小校舎が火災により消失、1958年1月10日に新校舎が竣工(釜池175番地)した[18]1989年3月6日に閉校まで使用されることになる校舎が竣工し、同日に竣工式を挙行した[19]

2005年4月1日に浅舞小学校へと統合されて閉校[1]。閉校後、校舎は市の「浅舞地区交流センター蛭野分館」として使用されている[20]

年表

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以下、注釈の無い項目は『平鹿町史(1984年)』によるもの。

旧蛭野小学校の外観(現・浅舞地区交流センター蛭野分館)
  • 1948年2月11日 - 蛭野分教室が蛭野小学校として独立。
  • 1956年9月20日 - 町村合併により「平鹿町立浅舞小学校」と改称。
  • 1962年10月25日 - 現在地にて新校舎竣工。同日に竣工式典を挙行。
  • 1990年 - 現行の校舎が竣工。
  • 2005年
    • 4月1日 - 蛭野小学校を編入統合[1]
    • 10月1日 - 市町村合併により「横手市立浅舞小学校」と改称。
  • 2022年10月 - 校舎の大規模修繕が完了[21]

校歌

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  • 作詞:細谷則理
  • 作曲:不明

歌詞などは学校の公式サイトを参照[22]

蛭野小学校校歌

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創立60周年記念事業として1953年(昭和28年)7月26日に制定された[23][24]

  • 作詞:佐々木順
  • 作曲:長谷山峻彦

通学区域

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  • 平鹿町浅舞・平鹿町下鍋倉・平鹿町樽見内・平鹿町里見の全域[25]
  • 平鹿町中吉田の一部(字年子狐・竹原・柳持、上藤根の国道107号沿線の六ヶ村堰以西)[25]

進学先中学校

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交通

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  • E46 秋田自動車道 / E13 東北中央自動車道 横手ICから車で約15分。
  • E13 東北中央自動車道 十文字ICから車で約10分。

脚注

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注釈

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  1. ^ 文献には高野分校のみを残して他は廃止したとの記載だが、1890年に下鍋倉分校を廃止した旨が記載されているため、この時点で下鍋倉分校は廃止されていなかったものとする[5]

出典

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  1. ^ a b c d 沿革”. よこてをつなごう. 浅舞小学校. 横手市教育委員会 (2021年9月3日). 2021年10月17日閲覧。
  2. ^ a b c 平鹿町史編纂 1984, p. 1079.
  3. ^ 横手市立学校設置条例”. 横手市 (2005年10月1日). 2023年4月19日閲覧。
  4. ^ 平鹿町史編纂 1984, p. 1054.
  5. ^ a b c d 浅舞小学校創立百周年記念事業実行 1974, p. 20.
  6. ^ a b c 平鹿町史編纂 1984, p. 1049.
  7. ^ 浅舞小学校創立百周年記念事業実行 1974, pp. 20–21.
  8. ^ 平鹿町史編纂委員会 1984, p. 1070.
  9. ^ 浅舞小学校創立百周年記念事業実行 1974, p. 21.
  10. ^ 平鹿町史編纂委員会 1984, p. 1077.
  11. ^ 平鹿町史 1984, p. 1080.
  12. ^ 蛭野小学校百周年記念事業実行 1995, p. 23.
  13. ^ 蛭野小学校百周年記念事業実行 1995, p. 24.
  14. ^ 蛭野小学校百周年記念事業実行 1995, p. 40.
  15. ^ a b c 蛭野小学校百周年記念事業実行 1995, p. 59.
  16. ^ a b 蛭野小学校百周年記念事業実行 1995, p. 60.
  17. ^ 平鹿町史編纂 1984, p. 1080.
  18. ^ 蛭野小学校百周年記念事業実行 1995, p. 92.
  19. ^ 蛭野小学校百周年記念事業実行 1995, p. 100.
  20. ^ 施設案内 浅舞地区交流センター蛭野分館”. 横手市 (2023年4月1日). 2023年4月17日閲覧。
  21. ^ 浅舞小学校が完成しました”. 創和建設株式会社 (2023年2月27日). 2024年12月2日閲覧。
  22. ^ 校歌”. 浅舞小学校. よこてをつなごう(横手市教育委員会). 2023年4月19日閲覧。
  23. ^ 蛭野小学校百周年記念事業実行 1995, p. 4.
  24. ^ 蛭野小学校百周年記念事業実行 1995, p. 62.
  25. ^ a b 横手市立小中学校通学区域に関する規則”. 横手市 (2022年5月17日). 2023年4月19日閲覧。
  26. ^ 在籍数一覧、市立小中学校の学区等”. 横手市 (2021年9月28日). 2021年10月17日閲覧。

参考文献

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  • 浅舞小学校創立百周年記念事業実行委員会『槻の木 浅小創立百周年記念誌』平鹿町、1974年。 
  • 平鹿町史編纂委員会『平鹿町史』平鹿町、1984年。 
  • 蛭野小学校百周年記念事業実行委員会・記念誌作成委員会『美稲 きき語りの蛭小百年誌』平鹿町、1994年。 

関連項目

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外部リンク

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