平林 (長野市)
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平林 | |
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北緯36度39分15.53秒 東経138度12分44.87秒 / 北緯36.6543139度 東経138.2124639度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 長野県 |
市町村 | 長野市 |
地区 | 古牧地区 |
人口 | |
• 合計 | 2,124人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
381-0036 |
市外局番 | 026 |
ナンバープレート | 長野 |
※座標は平林町公民館公民館付近 |
平林(ひらばやし)は、長野県長野市の市街地東部郊外にある町名。現行行政地名は平林一・二丁目。住居表示実施済み区域である。郵便番号は381-0036。
概要
[編集]地区の中央部を国道406号(平林街道)が東西に横断し、一丁目と二丁目との境をなしている。地区東部には都市計画道路高田若槻線が南北に縦走する。一丁目南部には柳原一号幹線排水路(北八幡川)が流れ、広大な遊水池がある。周囲は以下の大字・町丁と接する。
西和田二丁目 | ||||
大字三輪荒屋 大字高田北条 |
西和田二丁目 | |||
平林 | ||||
大字高田五分一 | 西和田一丁目 |
周辺地区同様に、古くは農村であったが長野市街地までバス・車で10分程度という立地により戦後急速に宅地化が進んだ。地区南東部の北八幡川沿いには近年まで農耕地が残っていたが、区画整理が行われ現在では住宅地となっている。高田若槻線の開通後は特に、平林交差点を中心にロードサイド店舗も進出している。
地区の南西で北八幡川に中沢川などの用水が数本が注ぎ、さらに六ヶ郷用水が分かれており、この付近に2.4haにも及ぶ雨水調整池が広がっている。この合分流点は勾配が緩いため土砂の堆積が甚だしく、浚った土砂が積み重なって付近に小高い丘を3つ成すほどであり、「三重山」などといわれていた[1]。現在でも付近の三重(さんじゅう)公園にその名が残っている。
地区内の人口及び世帯数は以下の通り(令和5年3月1日現在)[2]。
世帯数 | 人口 | |
---|---|---|
平林一丁目 | 604世帯 | 1,309人 |
平林二丁目 | 352世帯 | 714人 |
大字平林 | 39世帯 | 101人 |
計 | 995世帯 | 2,124人 |
沿革
[編集]平林の範囲は、概ね1889年(明治22年)以前の水内郡平林村の範囲に相当する。
- 旧平林村〜古牧村の歴史
- 江戸時代 - 前身の水内郡平林村は松代藩領であった
- 1879年(明治12年)1月4日 - 郡区町村編制法施行。平林村は上水内郡に属する
- 1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制施行。上水内郡平林村、同郡高田村・西和田村・東和田村・西尾張部村・南長池村と合併、三輪村荒屋区を編入。古牧村となる
- 1921年(大正10年) - 県道長野須坂線(現 国道406号平林街道)が開通。地区中央部を横断する
- 1923年(大正12年)7月1日 - 上水内郡古牧村、同郡吉田町・芹田村・三輪村とともに長野市に編入。旧平林村域は、大字平林となる
- 長野市平林の歴史
- 1982年(昭和57年)9月13日 - 平林街道が国道406号の一部となる
- 2000年度(平成12年度) - 古牧中部土地区画整理事業が始まる。現在の平林一丁目東部から西和田一丁目南西部にかけての8.5ha
- 2006年(平成18年)10月30日 - 住居表示実施。大字平林の大部分と大字西和田の一部が、平林一・二丁目となる
- 2008年(平成20年)5月12日 - 都市計画道路高田若槻線が一部開通(L=671m)。地区南部を縦断する
交通
[編集]路線バス
[編集]施設
[編集]平林一丁目
[編集]平林二丁目
[編集]- ミサワホーム信越 東北信支店
- 安達神社
- 西松屋 長野平林店
- 酒のスーパータカぎ 平林店
- 中部電力 東長野変電所
- 宝樹院 - 創建は1522年(大永2年)といわれる。山門前の腹籠観音堂は安産の観音として知られている[3]。
大字平林
[編集]- 三重公園
脚注
[編集]- ^ 裾花川水系 - 長野市教育会郷土誌委員会
- ^ 長野市. “長野市町別人口及び世帯数”. 長野市. 2023年3月18日閲覧。
- ^ 『長野市誌 第8巻』東京法令出版、1997年10月16日、244頁。