平島良一
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平島 良一(ひらしま りょういち、1891年(明治24年)6月29日[1] - 1956年(昭和31年)11月17日[2])は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]大阪府[2]日根郡北信達村、のち泉南郡[3]信達村→信達町[4]、現在の泉南市で平島幸吉の息子として生まれる[5]。1915年(大正4年)明治大学法律科を卒業した[6]。
大阪木津川セメント (株) に入社し用度課長を務めた[2][5][6]。在勤中、雨の日には出勤せず、会社もしかたなく公認した[7]。その後、会計士の業務に従事[2][5][6]。鉱業、農業に転業し、1943年(昭和18年)コバルト採掘鉱業に関係した[2][6]。その他、合資会社信達織布工場理事、平島紡績取締役、同会長などを務めた[2][5][6]。
1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で大阪府第2区から立候補したが落選[8]。1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙で大阪府第5区に日本自由党公認で出馬して初当選し[9]、1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙に民主自由党から出馬して再選され[10]、衆議院議員に連続2期在任した[2]。この間、日本自由党総務、同会計監督、民主自由党党務部長、同政調会貿易振興委員長、第3次吉田内閣・文部政務次官などを務めた[2][5][6]。その後、第25回、第26回、第27回総選挙に連続3回立候補したが、いずれも次点で落選した[11]。
脚注
[編集]- ^ 『大衆人事録 第19版 東京篇』692頁。
- ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』536頁。
- ^ 『再建 : 日本自由党中央機関誌 6(6)』60頁。
- ^ 『衆議院要覧. 昭和22年12月現在 乙』170頁。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第15版 下』ヒ12頁。
- ^ a b c d e f 『国会 3(11)(31)』35頁。
- ^ 『再建 : 日本自由党中央機関誌 6(6)』58頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第22回』1141頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第23回』366頁。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』254頁。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』254-255頁。
参考文献
[編集]- 『衆議院要覧. 昭和22年12月現在 乙』衆議院事務局、1948年。
- 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第22回』衆議院事務局、1950年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第23回』衆議院事務局、1948年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第19版 東京篇』帝国秘密探偵社、1956年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
- 「大臣街道を行く (三) 中庸の思想家・平島良一」『国会 3(11)(31)』国会社、1950年11月。
- 「平島良一 (大阪五区)」『再建 : 日本自由党中央機関誌 6(6)』再建編集局、1952年6月。