平倉洞
位置 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 평창동 |
漢字: | 平倉洞 |
片仮名転写: | ピョンチャン=ドン |
ローマ字転写 (RR): | Pyeongchang-dong |
統計(2012年) | |
面積: | 8.87 km2 |
総人口: | 19,816[1] 人 |
男子人口: | 9,496[1] 人 |
女子人口: | 10,320[1] 人 |
人口密度: | 2,234 人/km2 |
世帯数: | 7,395[1] 世帯 |
行政 | |
国: | 大韓民国 |
上位自治体: | 鐘路区 |
行政区域分類コード: | 1111056000 |
自治体公式サイト: | 平倉洞 |
平倉洞(ピョンチャンドン、韓国語:평창동 )は、ソウル特別市鐘路区に属する行政洞である。北漢山南側北岳トンネルの近くにあり、東は城北区貞陵3洞と貞陵4洞、西に恩平区仏光1洞と西大門区弘恩1洞、南は付岩洞と城北区城北洞、北は恩平区津寛洞と京畿道高陽市徳陽区孝子洞と接している。
洞名の由来
[編集]平倉洞は、宣恵庁(ソネチョン)の平倉があったことから由来した[2]。
歴史
[編集]朝鮮初期には漢城府北部義通坊(ウィトンバン)地域だった。1914年には京畿道高陽郡恩平面平倉里に属し、1949年西大門区に編入された。1950年平倉里から平倉洞に変わって、1975年西大門区から鐘路区の管轄になった。
法定洞
[編集]平倉洞管轄の法定洞は以下のとおりである。[3]
- 旧基洞(クギドン)
- 平倉洞(ピョンチャンドン)
特徴
[編集]平倉洞は多くの地域が開発制限区域に指定されている。北岳トンネルと旧基トンネルがあり、洗剣亭通り(セゴムジョンキル)と真興路(チヌンノ)がこのトンネルに繋がる。北漢山の麓には大邸宅が多く、伝統的な高級住宅街を形成している。535番地に曹渓宗ヘウォン寺(ヘウォンサ)があり、541-1番地にはソウル特別市民俗資料に指定された普堅山神閣がある。普堅山神閣に登る途中に、月灘(ウォルタン)の号を称する民族的ないし浪漫主義的歴史小説家朴鐘和(パク・ジョンファ)が住んでいた釣水楼がある。鐘路区北端にあたる旧基洞(クギドン)の名前は「クトックル」という自然部落の名前から由来する。
北漢山国立公園と接していて、多くの古跡がある。僧伽寺(スンガサ)、文殊庵(ムンスアム)などの寺と碑峰(ピボン)には北漢山真興王巡狩碑遺址があって、碑峰から洪智門に至る蕩春台城(タンチュンデソン)が旧基洞と弘恩洞、仏光洞との境界を成している。
文殊庵は1109年に僧侶兼書家である坦然(タニョン)が創建し、朝鮮戦争時に燃えてしまったのを1957年に修復再建した。燃える前には五百羅漢の塑像を祭る羅漢殿(ナハンジョン)が有名だった。
文殊庵の南側には756年に僧侶である秀台(ステ)が創建したといわれる僧伽寺があり、境内には1024年に制作された僧伽寺石造僧伽師像がある。僧伽寺の後ろの花崗岩の壁には蓮花座(ヨナジャ)の上に結跏趺坐した北漢山旧基里磨崖釈迦如来坐像がある。碑峰には真興王巡狩碑があったが、損傷を防ぐため1972年に景福宮に転じ、巡狩碑があった場所には模造碑を立てておいた。