平佐良蔵
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平佐 良蔵(ひらさ りょうぞう、1851年7月28日〈嘉永4年7月1日〉[1] - 1912年〈明治45年〉7月5日)は、日本の陸軍軍人、華族。最終階級は陸軍中将。男爵。
経歴
[編集]長門国(現在の山口県)にて、平佐蕉雨の長男として生まれる。明治4年9月21日(1871年11月3日)、陸軍少尉に任官。1892年(明治25年)12月、歩兵第10連隊長となり、1895年(明治28年)2月、歩兵大佐に昇進。1897年(明治30年)10月、近衛歩兵第1連隊長に就任した。
1900年(明治33年)4月、陸軍少将に進級し歩兵第10旅団長に就任。1901年(明治34年)7月、台湾守備混成第2旅団長に異動。1903年(明治36年)7月、歩兵第18旅団長に発令され日露戦争に出征。旅順攻囲戦、奉天会戦などを戦った。
1906年(明治39年)7月、陸軍中将に進み第15師団長に親補された。1907年(明治40年)1月28日に退役し[2]、同年9月21日、その功績により男爵の爵位を授爵し華族となった。
1912年(明治45年)7月5日、60歳で死去した。家督は父の蕉雨が継ぎ、男爵も襲爵した。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章等
- 1889年(明治22年)11月29日 - 大日本帝国憲法発布記念章[6]
- 1894年(明治27年)11月24日 - 勲三等瑞宝章[7]
- 1906年(明治39年)4月1日 - 功二級金鵄勲章、旭日重光章、明治三十七八年従軍記章[8]
- 1907年(明治40年)9月21日 - 男爵 [9]
- 1912年(明治45年)7月4日 - 勲一等瑞宝章[10]
家族
[編集]脚注
[編集]- ^ 『平成新修旧華族家系大成』下巻(霞会館、1996年)p.415
- ^ 『官報』第7073号(明治40年1月29日)、第7074号(明治40年1月31日)。
- ^ 『官報』第3582号「叙任及辞令」1895年6月10日。
- ^ 『官報』第7107号「叙任及辞令」1907年3月12日。
- ^ 『官報』第8714号「叙任及辞令」1912年07月06日。
- ^ 『官報』第1938号「叙任及辞令」1889年12月12日。
- ^ 『官報』第3430号「叙任及辞令」1894年12月3日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月30日。
- ^ 『官報』第7272号「授爵敍任及辞令」1907年9月23日。
- ^ 中野文庫 - 旧・勲一等瑞宝章受章者一覧(戦前の部)
参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
関連項目
[編集]日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
男爵 平佐(良蔵)家初代 1907年 - 1912年 |
次代 平佐蕉雨 |