幾寅駅
幾寅駅 | |
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駅舎(2017年8月) | |
いくとら Ikutora | |
◄T35 東鹿越 (4.0 km) (9.4 km) 落合 T37► | |
所在地 | 北海道空知郡南富良野町字幾寅 |
駅番号 | ○T36 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | ■根室本線 |
キロ程 | 98.8 km(滝川起点) |
電報略号 | トラ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
乗車人員 -統計年度- |
59人/日(降車客含まず) -2015年- |
開業年月日 | 1902年(明治35年)12月6日[1] |
廃止年月日 | 2024年(令和6年)4月1日 |
備考 |
簡易委託駅(駅外) 路線廃止に伴う廃駅 |
映画『鉄道員(ぽっぽや)』ロケで「幌舞駅」として使用。 |
幾寅駅(いくとらえき)は、北海道空知郡南富良野町字幾寅にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)根室本線の駅(廃駅)である。駅番号はT36。電報略号はトラ。事務管理コードは▲110407[2]。かつては急行「狩勝」の停車駅だった。
歴史
[編集]- 1902年(明治35年)12月6日:北海道官設鉄道十勝線旭川 - 落合間開通に伴い開業[1]。
- 1905年(明治38年)4月1日:鉄道省に移管[1]。
- 1909年(明治42年)10月12日:十勝線が釧路線に統合され、同線の駅となる。
- 1913年(大正2年)11月10日:線路名が釧路本線に改称され、同線の駅となる。
- 1919年(大正8年)5月1日:当駅含む山部駅 - 新得駅間の管轄を旭川管轄から釧路管轄とする[3]。
- 1921年(大正10年)
- 1923年(大正12年)4月1日:当駅含む山部駅 - 新得駅間の管轄を釧路管轄から再び旭川管轄とする[3]。1928年(昭和3年):幾寅森林軌道廃止[4]。
- 1933年(昭和8年)
- 2月:駅舎全焼。
- 6月:駅舎を南側から北側へ移転再建[注釈 1]。
- 1949年(昭和24年)
- 1982年(昭和57年)11月15日:貨物扱い廃止[1]。
- 1984年(昭和59年)
- 1985年(昭和60年)4月1日:前日をもって国鉄職員による乗車券の販売を終了し、南富良野町への簡易委託により乗車券販売を開始[6]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[1]。
- 1994年(平成6年)4月1日:釧路支社と本社鉄道事業本部の境界を布部駅の富良野駅方(施設キロ 61km 000 m地点)から上落合信号場手前(施設キロ114 km 700 m地点)に変更し、当駅の管轄を本社鉄道事業本部に移管[8]。
- 2003年(平成15年)4月1日:簡易委託廃止、完全無人化。
- 2005年(平成17年):映画「鉄道員(ぽっぽや)」で使用されたキハ40形の前頭部が設置。
- 2016年(平成28年)
- 2024年(令和6年)4月1日:富良野駅 - 新得駅間の廃止に伴い廃駅[9][JR北 3]。
駅名の由来
[編集]所在地名より。現在のユクトラシュベツ川(幾寅川とは異なる)を指すアイヌ語の「ユクトゥラシペッ[注釈 2]」(鹿が・登る・川)の上部を採って漢字をあてたものとされる[10]。
なお、この「ユクトゥラシペッ」を訳して駅名にしたのが隣駅の東鹿越駅(及び旧鹿越信号場)である。
駅構造
[編集]廃止時点では単式ホーム1面1線と木造駅舎を有する地上駅であった。
かつては島式ホーム状の2面を有していたが、いずれも片面使用の実質相対式ホーム2面2線で、駅舎側ホーム(下りホーム)と駅舎の間に貨物積卸線1本と駅裏側に大きく膨らんだ貨物線1本を有していた。当駅は建設時には南側に駅舎が設置されていたが、この駅裏の貨物線は駅舎が北側に移転した後に設置されている[注釈 3]。駅舎と互いのホームは構内踏切で連絡していた。駅裏側の貨物線が先に廃止され[注釈 4]、後に駅舎側の貨物積卸線も貨物取扱廃止に伴って使用されなくなって、1983年時点では側線として残っていたが[11]、1993年(平成5年)時点では、この側線も富良野側の転轍機が外されて滝川方から分岐する側線となっていた[12]。更に交換設備廃止の上、島式ホーム1面使用の単式ホームとなっていた。
駅舎は線路の北側(根室方面に向かって左側)に位置し、築堤上のホームとは階段で連絡する。古い駅舎であるが、映画『鉄道員(ぽっぽや)』の撮影の為、より古さを強調した感じ[注釈 5](外観及び内装も[13])に改修されている。
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待合室(2004年8月)
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本来の事務室(2004年8月)
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ホームから見た駅舎(2011年8月)
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ホーム(2012年10月)
利用状況
[編集]乗車人員の推移は以下のとおりであった。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | ||
---|---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | JR調査 | |||
1981年(昭和56年) | (91.0) | [11] | 1日平均乗降客数182人 | ||
1992年(平成 | 4年)(109.0) | [14] | 1日平均乗降客数218人 | ||
2012年(平成24年) | 66 | [JR北 4] | 以下、1日平均はJR北海道の同年の特定の平日の調査日の数値 | ||
2013年(平成25年) | 72 | ||||
2014年(平成26年) | 74 | ||||
2015年(平成27年) | 59 | 67.8 | |||
2016年(平成28年) | - | 同年度から東鹿越 - 新得間被災によりバス代行。データなし。 | |||
2017年(平成29年) | - | [JR北 5] | |||
2018年(平成30年) | - | [JR北 6] | |||
2019年(令和元年) | - | [JR北 7] | |||
2020年(令和 | 2年)- | [JR北 8] | |||
2021年(令和 | 3年)- | [JR北 9] | |||
2022年(令和 | 4年)- | [JR北 10] | |||
2023年(令和 | 5年)- | [JR北 11] |
駅周辺
[編集]幾寅の市街地になっており、商店や住宅が立ち並ぶ。
- 北海道道465号金山幾寅停車場線
- 国道38号
- 道の駅南ふらの
- ノースライナー「幾寅物産センター」停留所
- 南富良野町役場
- 富良野警察署幾寅駐在所
- 幾寅郵便局
- 旭川信用金庫南富良野支店
- ふらの農業協同組合(JAふらの)南富良野支所
- 「鉄道員」撮影に使われた建物のセット
- 北海道南富良野高等学校
- 南ふらのスキー場
- 南富良野町営循環バス「農協前」・占冠村営バス「幾寅駅前」・ふらのバス西達布線「幾寅駅」停留所
その他
[編集]- 映画『鉄道員(ぽっぽや)』の中では石炭輸送路線終端駅の「幌舞駅」として登場する。駅舎は映画のロケーションのために改装されている。また駅前には、映画内で「キハ12 23」として登場したキハ40 764号気動車(ぽっぽや号)の一部分(前頭部)が、2005年(平成17年)に廃車の後に設置・保存されている。
- 待合室内には映画撮影関連の写真や小道具、出演者のサインなどを展示し、駅前の食堂などのロケーションセットも残され[13]、多くのファンが訪れる。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、876頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、232頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ a b c 『釧路鉄道管理局史』日本国有鉄道釧路鉄道管理局、1972年10月14日、25頁。doi:10.11501/12757877。
- ^ (3)森林鉄道軌道延長昭和三年度末現在、備考欄『国有林事業成績. 第8次(昭和3年度)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ “「通報」●根室本線幾寅駅ほか30駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 1. (1984年11月29日)
- ^ a b 『JR釧路支社 鉄道百年の歩み』北海道旅客鉄道株式会社釧路支社、2001年12月25日、114-115頁。
- ^ 「国鉄釧鉄局、幾寅駅などの無人駅化を1日から実施」『日本経済新聞』日本経済新聞社、1984年11月30日、地方経済面/北海道、1面。
- ^ 『JR釧路支社 鉄道百年の歩み』北海道旅客鉄道株式会社釧路支社、2001年12月25日、129頁。
- ^ 『北海道旅客鉄道株式会社の鉄道事業の一部を廃止する届出及び本届出に係る公衆の利便の確保に関する意見の聴取について』(PDF)(プレスリリース)国土交通省北海道運輸局、2023年3月31日。オリジナルの2023年3月31日時点におけるアーカイブ 。2023年3月31日閲覧。
- ^ “アイヌ語地名リスト ア~イチ P1-10”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2014年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月20日閲覧。
- ^ a b 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)114ページより。
- ^ 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館、1993年6月発行)111ページより。
- ^ a b 書籍『北海道鉄道駅大図鑑』(著:本久公洋、北海道新聞社、2008年8月発行)242ページより。
- ^ 宮脇俊三、原田勝正 著、二見康生 編『北海道630駅』小学館〈JR・私鉄各駅停車〉、1993年6月20日、110頁。ISBN 4-09-395401-1。
JR北海道
[編集]- ^ 『一連の台風による石勝線・根室線の災害復旧の状況について』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2016年10月13日。オリジナルの2018年9月5日時点におけるアーカイブ 。2018年9月5日閲覧。
- ^ “根室線 東鹿越駅〜新得駅間 バス代行輸送の実施について” (PDF). 北海道旅客鉄道 (2017年3月22日). 2017年5月16日閲覧。 代行バス運行中のダイヤ掲載あり
- ^ 『根室線(富良野・新得間)の鉄道事業廃止届の提出について』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2023年3月31日。オリジナルの2023年3月31日時点におけるアーカイブ 。2023年3月31日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員(2016)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道株式会社. p. 2 (2017年12月8日). 2018年8月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月17日閲覧。
- ^ “根室線(富良野・新得間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2018年7月2日). 2018年8月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月18日閲覧。
- ^ “根室線(富良野・新得間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。
- ^ “根室線(富良野・新得間)” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 輸送密度200人未満の線区(「赤色」「茶色」5線区). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2020年10月30日). 2020年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月4日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月14日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月3日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2023年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月10日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道 (2024年). 2024年9月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月9日閲覧。
参考文献
[編集]- 南富良野町史 下巻 平成3年発行
- 旭川営林局史 第一巻 昭和35年発行
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 幾寅|駅の情報検索(時刻表・バリアフリー)|鉄道・きっぷ|JR北海道- Hokkaido Railway Company
- 高倉健さんの面影求めて 映画「鉄道員」のロケ地になったJR根室線の幾寅駅 - YouTube(朝日新聞社提供、2019年8月10日公開)