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工富保

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

工富 保(くとみ たもつ、1949年1月10日[1][2] - 2011年2月19日)は、日本漫画編集者男性

経歴

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高校時代は体操部で器械体操が得意だったという[3]

早稲田大学卒業後[4]1973年講談社へ入社[2]。新人社員として配属された『週刊少年マガジン』編集部では松本零士男おいどん』終盤や永井豪を担当[1]1978年にはギャグ漫画家だった柳沢きみおに恋愛マンガを注文し、ラブコメブームを巻き起こす『翔んだカップル』を誕生させる[5]。さらに小林まことの才能を見抜いてデビューに導き、『1・2の三四郎』の連載を決める[6]。その後も、『シェリフ』(原作:鶴見史郎(すがやみつる)、画:真樹村正(現・どろんぱ))、『THE STAR』(島崎譲)などを担当。

『週刊少年マガジン』編集部に19年在籍した後、『BE・LOVE』や『BE・LOVEブライダル』の編集長を5年半務め[7]1998年2月より『モーニング』の2代目編集長[4]2001年8月より『イブニング』創刊編集長、2003年2月[2] から2004年12月まで『週刊少年マガジン』編集長を歴任した。

講談社の役職としては役員待遇第三編集局長を務め[4]2010年1月に定年退職した[8]

2011年2月9日に死去、62歳没。通夜には約500人が集まった。訃報を受け、工富と共につくった『翔んだカップル』が自分にとって本当の大ヒット作と自認する柳沢きみおは、約1週間ロウソクを灯して合掌したという[9]

人物

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少年マガジンで担当した小林まことは工富の人柄を、「ノセ上手で魔法でもかけるように、打ち合わせで漫画家にアイデアを出させる」「特技は漫画家の原稿を見ている時、自分の持っているタバコの煙が眼に入って顔をしかめる」と述べている[3]

永井豪の『バイオレンスジャック』には「くとみ先生」として名前が使われた他、『イヤハヤ南友』にもキャラクターとして登場[10]。小林まことの『I am マッコイ』ではチョイ役のモデルになった[11]

脚注

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  1. ^ a b 宇都宮滋一『「ダメ!」と言われてメガヒット 名作マンガの知られざる制作現場』東邦出版、2003年、227頁
  2. ^ a b c 「[編集長に聞く]週刊少年マガジン・工富保さん おしゃれ、涙、感動」『毎日新聞東京本社版』2004年9月3日付夕刊、8面。
  3. ^ a b 小林まこと『青春少年マガジン1978〜1983』講談社<KCDX>、2008年 ISBN 978-4-06-375618-0、200頁。
  4. ^ a b c 「[雑誌・週刊誌斜め読み]『モーニング』の夜明け前」『毎日新聞東京本社版』1998年11月24日付朝刊、25面。
  5. ^ 宇都宮、229-230、239-240頁
  6. ^ 小林、18-22、45頁。
  7. ^ 宇都宮、264頁
  8. ^ 十野七(七見水晶)「工富さんが亡くなられたそうです。ミニマムきろく 2011年2月23日
  9. ^ 柳沢きみお「なんだかなァ人生 連載第47回」『週刊新潮』2011年4月14日号、p.95
  10. ^ 「担当編集者に聞く バイオレンスジャック 工富保」『永井豪 世紀末悪魔事典』草野真一構成、講談社、1999年、169頁
  11. ^ 宇都宮、241頁
先代
栗原良幸
モーニング編集長
第2代:1998年 -
次代
木原康男
先代
-
イブニング編集長
初代:2001年 -
次代
梶原和哉