川崎浹
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川崎 浹(かわさき とおる、1930年5月5日 - )は、日本のロシア文学者、著述家。早稲田大学名誉教授。
経歴・人物
[編集]福岡県に生まれる。1948年福岡県中学修猷館[1]、1954年早稲田大学第一文学部露文学科卒業、1964年同大学大学院文学研究科露文学専攻博士課程単位取得満期退学。 同年同大学教育学部非常勤講師となり、1965年同大学第一、第二文学部、法学部非常勤講師、1967年同大学教育学部専任講師、1970年同大学教育学部助教授。 1971年9月から1973年3月にかけてパリ大学・早稲田大学交換制度による在外研究の後、1974年早稲田大学大学院文学部露文学専攻を兼担。1975年同大学教育学部教授に就任。 1984年9月から1985年7月にかけてモスクワ大学・早稲田大学交換制度による在外研究を行う。 2001年3月退職。
1960年代後半に翻訳したロープシン『蒼ざめた馬』や、ボリス・サヴィンコフ『テロリスト群像』は、当時の学生運動に波紋を投げかけた。またアントン・チェーホフ、フョードル・ドストエフスキーと並んで70年代にはソ連反体制文学、いわゆる地下文学(サミズダート)に焦点を絞った。その一環として、後の80年代のソ連崩壊期には足繁く現地に通い、インタビュー集やルポルタージュ等を執筆。
専門外の著書『過激な隠遁』(2008年)は、生前著者と親交のあった画家高島野十郎の評伝である。
著書
[編集]- 『チェーホフ』(紀伊国屋書店、1970年)
- 『ソ連の地下文学』(朝日新聞社、1976年)
- 『複眼のモスクワ日記』(中央公論社、1987年)
- 『いまソ連の知識人は何を考えているか』(朝日新聞社、1990年)
- 『ペレストロイカの現場を行く』(岩波書店、1991年)
- 『カタストロイカへの旅』(岩波書店、1993年)
- 『権力とユートピア』同時代ライブラリー(岩波書店 1995年 )
- 『ロシアのユーモア』(講談社、1999年)
- 『英雄たちのロシア』(岩波書店、1999年)
- 『ある零戦パイロットの軌跡』(トランスビュー、2003年)
- 『過激な隠遁 髙島野十郎評伝』(求竜堂、2008年)
編著
[編集]共著
[編集]- 『私の海外旅行術』同時代ライブラリー(岩波書店、1994年)
訳書
[編集]- B.ロープシン『黒馬を見たり』
- ボリス・サヴィンコフ『テロリスト群像』(現代思潮社、1967年)
- B.ロープシン『蒼ざめた馬』(現代思潮社、1967年)
- B.ロープシン『牢獄』(現代思潮社、1969年)
- アルダマツキー『報復』(現代思潮社、1969年)
- アンドレイ・サハロフ『進歩・平和共存および知的自由』(みすず書房、1969年)
- ニコライ・ネクラーソフ「大洋の両岸にて」(『社会主義の苦悩と新生』学芸書林、1969年)
- A.L.ウォルインスキー『カラマーゾフの王国』(みすず書房、1974年)
- ヴィクトル・シクロフスキー『トルストイ』(河出書房新社、1978年)
- マガーシャク「直接技法から間接技法へ」(『ユリイカ』誌、1978年)
- レイゾフ編『西欧文学とドストエフスキイ』(勁草書房、1980年)
- ピエール・パスカル『ロシア・ルネサンス』(みすず書房、1980年)
- アントン・チェーホフ『ワーニャ叔父さん』(文学座上演脚本、1980年)
- アレクサンドル・ジノビエフ『酔いどれロシア』(岩波・同時代ライブラリー、1991年)
- B.ロープシン『ロープシン遺稿詩集』(未知谷、2010年)
共訳書
[編集]- ウスペンスキー『空間の詩学』(法政大学出版局、1985年)
- フセヴォロド・サハロフ『ブルガーコフ --作家と権力』(群像社、2001年)
脚注
[編集]- ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』同窓会員71頁
参考文献
[編集]- 「川崎浹教授略歴・業績」早稲田大学教育学部学術研究.数学編 55頁、早稲田大学教育学部、2000年